深夜のニュース番組「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京系列)の、
コーナーで紹介された本の売上が急上昇しているそうです。
このコーナー「スミスの本棚」は、隔週交代でゲストが登場して、
人生や仕事の転機となった本を紹介する5分程度の短いものです。
驚くことに、内容によって、放送の翌日に増刷が決定され、
時には、10万部近くを記録する本もあるそうです。
同番組は、キャスターやコメンテーターの人気に頼ることなく、
地に足をつけた内容が信頼を得て長寿番組となっていました。
また、ベンチャー企業紹介や経営者トップの成功談などに、
コーナーが割かられることも多く。
「ガイヤの夜明け」や「カンブリア宮殿」と同じく、
同局お得意(?)のサクセスストーリー好きには堪らない番組です。
誰しも、自ら目指そうとする目標に指針となるべきものがあれば、
参考にしたいと思うものです。
加えて、手軽に手に入る、テレビ番組や自叙伝などで紹介された事例を、
参考にしたいと思う気持ちも充分にわかります。
だだし、注意しないといけないのは、
紹介された内容の全てが、真実ではないということです。
時には、登場者を引き立てるため誇張されていたり、
体裁が良いように、後から理念などが付け加えられていたりします。
紹介された成功談(時には失敗談も)の真否は重要な事ではありません。
事例は、あくまでも仮定の話と割り切って、
実際に自分が直面したときの考え方として、
蓄積しておくのが良いのではないでしょうか。
筋書き通りには運ばない人生、
こういった事が判断に迷ったときの強い見方となります。
大屋晋三氏は初期のテイジンの経営に携わり、一時は社長に就くのですが、
若い頃の夢を忘れられず政治家の道を選び、
国会議員となり吉田茂内閣の時には、大臣を務め活躍します。
合成繊維の台頭により経営不振になっていたテイジンの
建て直しのため、社長として舞い戻ります。
絶対に負けることが出来ない競争相手、
東レとのポリエステル繊維の開発競争で、陣頭に立って指揮を取りました。
工場の建設は驚くほど順調に進み、
東レに比べて着工は半年ほども遅れていましたが、
竣工した時にその差は2カ月程度に縮まりました。
その後、ポリエステル繊維である「テトロン」の成功により
再びテイジンは息を吹き返すこととなったのです。
大屋氏は1956年に再び社長の席についてから、
80年に亡くなるまでの間ずっと社長であり続けました。
晩年には放漫経営や多角化失敗を惹き起こす結果となりますが、
強烈なワンマン経営で、リーダーシップを存分に発揮します。
中学に入る頃から、自分の人生は人に頼らず自分自身で決定して、
自分で切り開いてきました。
先輩に引き立てられたり、師に就いて習ったりすることなく、
独自の道を歩んできた彼でしたが、運命については自分の意思では
どうしようも出来ないと言っています。
些細なきっかけで運命は決定されています。
いままでの数々の岐路、その選択が違っていれば、
人生が変わっていただろうと振り返ります。
道を迷いかけたり、回り道をしながら、
なにより自分が活躍できる舞台を見つけることが大切です。
周りから認められ、自分が力を発揮できると思えたからこそ、
何十年もの間 サラリーマン社長として活躍できたのではないでしょうか。