「タイガー」、7月から8月にかけて、話題を提供したこの名前、
記憶に残っている方も多いはずです。
北欧の100円ショップと称され、アジア1号店を大阪に出店したところ、
「予想外の人気に、品切れを起こした」として、ニュースで紹介されました。
当初は、欧米の会社がよく採る販売手法で、
品薄を装って客足を速める戦略かと思っていたところ、
本当に品切れを起こしていたそうですから、笑い事では済まされません。
結局、2日の臨時休業に加えて、
8月16日からは無期限休業となってしまいましたが、
9月終盤には、体制を整えて再度オープンとなり、ひと段落としているそうです。
「タイガー」は、世界各地のメーカーと直接取引し、
安い単価で大量仕入れ品揃えを行っているとのこと。
どんなに人気が出た商品でも、基本的には追加注文せず、
売り切ってしまうのが特徴です。
予備在庫を持たない為、効率的に経営ができるというものです。
このようなスタイルを、いわゆる「売り切れ御免」といいますが、
日本では、特売品以外の商品で、「売り切れ御免」を採る小売はほとんどなく、
スーパーやコンビニ、100円ショップでは、1日の販売数を綿密に計画し、
品切れを起こさないことを至上命令としています。
このような恵まれた状況に馴れた、日本人が「タイガー」に殺到して、
今回のような事態になったのです。
遡ること半世紀ほど、各地に「安売り」を売り文句にスーパーが登場した頃に、
「売り切れ御免」は、当然のように行われていました。
その理由は、「一括仕入」「大量仕入」することが、
安売りの最大の武器だったからです。
仕入れた商品がある程度売れて、お金が溜まるまで、
したくても次の仕入は行えなかったのです。
安いが故の品切れは、お客の方も充分わかっていました。
安売りの元祖、(旧)ダイエーの創業者中内 功氏は、
最後まで「大衆の声」を追い続けた一人です。
「腹いっぱい食べたい」「大衆の手に届く値段」に応え続けて、
それまでの商慣習、政府の規制に立ち向かって戦ってきました。
「安売り哲学」を引っ提げ、真正面から物価に対抗して、
日本を引っ張ってきた経営者なのです。
中内氏の安売りの発想は、開業当時に遡ります。
戦後の闇市で薬の販売に始まり、
薬の現金問屋を手がけるようになります。
それは、中小メーカーから正規外のルートへ
流れ出た商品を現金で仕入れ、小分けにして販売するのです。
先に注文と前金を受け取りその後、仕入先を探しに回ります、
市価の半分位で販売できるため、「クチコミ」でうわさが広がり、
売上は次々と増えていきます。
しかし、「乱売の元祖」と新聞でも報じられ、
行政から営業停止を受けたこともありました。
「薄利多売」の商法は、薬から化粧品、食料品、
さらには衣料品、家電へと広がります。
はじめて「牛肉」を取り扱ったときには、
業者に仕入れルートを封じ込められ、
自前で生きた牛を仕入れることにもなりました。
やがて、世の中にスーパーが定着するにつれ、
武器はメーカーとの駆け引きに移っていきます。
メーカーの「継続購入」「安定供給」と引き替えに、
「安売り」が成り立つようになっていったのです。
こうして、資金力を最大限に生かす「安売り」から、
継続して売上拡大できる「格安販売」に変わっていきました。
北欧からの新しい風は、独自のスタイルを貫き通すことができるか、
それとも一時の流行として、吹き去るってしまうのでしょうか。