「自分」目線になっていませんか

 京都市中南部に咲く桜は、どちらも満開状態で、
 新しい門出を迎える学生や新社会人を、優美な姿で迎えています。
 こちらも桜真っ盛りで、観光客が行きかう右京区太秦の地、
 「大映通り商店街」に、新しい名所が登場しています。

 3月14日、映画の町として栄えた賑わいを取り戻そうと、
 かつて、地元撮影所で作成された映画、「大魔神」の巨大像が、
 商店街中ほどにあるスーパー前に設置されました。

 映画は、時代劇と特撮を融合させた奇抜な設定で、
 子供の頃に映画を見たお父様世代だけでなく、
 特撮マニアにも一目置かれている作品です。

 この像、実はレプリカで、イベント用に地元の美術会社が製作したものです。
 映画で実際に使われたものは、
 フィギュアなど模型製作の海洋堂の本社に鎮座しています。
 どちらも、映画の再興と、(特撮)模型技術の「守護神」として役割を担っています。

 息子が小学校に入学するのに、定職を持たない父親のままだといけないと思い、
 創業者、宮脇 修氏は商売を始める事を決意します。
 運を天に任せて決めたのが、流行の兆しをみせていた模型店でした。

 長屋の片隅に構えた1.5坪の小さな店、ここが海洋堂の出発点となります。
 早速、夫人がヘソクリで貯めた資金を片手に、問屋街に仕入れに向かいます、
 プラ模型に関して全く知識を持たない宮脇氏の心強い味方となったのは、
 近所に住む、プラモデルマニアの中学生でした。

 同級生たちを引き連れ、店の宣伝マンとして活躍してくれます。
 お陰で、店の開店前から仕入れた商品が次から次へとさばけて生きます。
 オープン後は、尻込みする同業者を横目に、
 いち早くスロットカーを仕入れて、一儲けを果たします。

 子供たちの声を取り入れ、戦艦のプラモデルを浮かべて遊ぶ場所がないと聞けば、
 店にプールを作り、そこで遊べるようにしたり。
 スロットレーシングがブームになった時には、
 廃工場を借りて、レーシング場を作って楽しませていたそうです。

 ブームがひと段落すると、子供向けのプラモデルの販売は下降し、
 補うものとして、大人向けに帆船の完成品を販売することを思いつきます。
 このときに考案した、金属的に仕上る「ブロンズ技法」が評判となり、
 応接室や社長室の装飾品として重宝され、海洋堂の知名度を高めるものとなります。

 当時は、どんな商売でも店主が品揃えや売り方、客寄せの方法まで、
 お客の動向を観察して、試行錯誤を行っていました。
 上手くいく事もあれば、目論み違いすることも当然あります、
 その結果、店には売れ筋商品と売れ残った「ガラクタ」が混在していました。 

 現在では、繁盛している店の品揃えや販売方法が
 より洗練され、規格化されて、店舗として運営されるようになっています。
 結果、スーパーやショッピングセンター、専門店、どこに出かけても、
 売れ筋商品しか店頭に並ばなくなってしまいました。

 年々、都市部と郊外、地方の地域格差が広がっています。
 土地の価格で比べると、郊外の一等地が都市部の路地裏並み、
 地方のそれは、都市部の何十分の一になっています。

 都市部に店舗を構えても家賃も高騰し、時代にミスマッチしたもの、
 マニア向けの商品など、相当数の販売が見込めないものは、
 維持することは困難になりました。

 しかし、発想を変えてみれば、都市部では「ガラクタ」扱いであっても、
 家賃が何分の一、何十分の一の地域では、
 充分ビジネスとして成り立つ可能性を持っているのです。

 特異性や希少性、専門性のニーズを探って品揃えを行えば、
 儲けの何割にも相当する家賃を払って必死に売上を稼ぐより、
 少ない売上でも効率よく利益が残ればオッケーなのです。

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