非常事態は何時やってくるかわからない

 今回の決算内容が、当初予測から大きく下振れし、
 大幅な赤字となったことから、繊維大手の帝人が苦境に立たされています。
 高機能繊維をはじめとする素材事業の誤算が大きな理由だとか。

 防弾チョッキなどに使われるアラミド繊維の需要が、
 米国の財政再建の影響でで、防弾、護用途が減ったこと。
 加えて、欧米における自動車関連の需要が減ったことも打撃となったそうです。 

 会社が存亡の危機に瀕している時に、最も必要とされるのが、
 絶対的な求心力を持つリーダーの存在です。
 非常事態でも、ソフトな経営者がもてはやされるこの頃、
 インパクトのある経営者が登場して欲しい限りです。

 大屋晋三氏は初期の帝人の経営に携わり、一時社長に就くのですが、
 若い頃の夢を忘れられず政治家の道に進み国会議員となり、
 吉田茂内閣の時には、大臣を務め活躍します。

 しかし、合成繊維の台頭により経営不振になっていた帝人の建て直しのため、
 社長として舞い戻ることとなります。
 そして、強烈なワンマン経営でリーダーシップを発揮します。

 当時、レーヨンの生産において、世界で名立たる地位にありましたが、
 彼が戻った時、栄光にあぐらをかき、瀕死の状態になっていました。
 ひとつの事を決定するのに30もの判が必要なほど行動力を失っていたのです。

 絶対に負けることが出来ない競争相手、
 東レとのポリエステル繊維の開発競争で、陣頭に立って指揮を取ります。
 工場の建設は驚くほど順調に進み、
 東レに比べて着工は半年ほども遅れていましたが、
 竣工した時にその差は2カ月程度に縮まりました。

 その後、ポリエステル繊維である「テトロン」の成功により、
 見事、息をふきかえします。

 サラリーマンでありながら、通算24年もの間、
 社長の席に君臨してきた、カリスマ経営者はこう言い切ります。
 「副社長以下は全員が使用人だ」

 大屋氏は1956年に再び社長の席についてから、
 80年に亡くなるまでの間ずっと社長であり続けました。
 中学に入る頃から、自分の人生は人に頼らず自分自身で決定して、
 自分で切り開いてきました。

 先輩に引き立てられたり、師に就いて習ったりすることなく、
 独自の道を歩んできた彼でしたが、運命については自分の意思では
 どうしようも出来ないと言っています。

 些細なきっかけで運命は決定されています。
 いままでの数々の岐路、その選択が違っていれば、
 人生が変わっていただろうと振り返ります。

 道を迷いかけたり、回り道をしながら、
 なにより自分が活躍できる舞台を見つけることが大切です。
 周りから認められ、自分が力を発揮できると思えたからこそ、
 何十年もの間、サラリーマン社長として活躍できたのでしょう。

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