サントリーの子会社、サントリー食品インターナショナルが、
上場して早くも2ヶ月が経過しました。
子会社の上場という、特殊な形態に少し違和感があったものの、
投資家からは好感を得て、株価も順調に推移している様子です。
現在、ハイボールの復活で久しぶりのウイスキー人気による追い風の中、
このチャンスとばかりに、中核事業である会社の上場を成し遂げました。
世界の飲料メーカーと肩を並べるグローバル企業になるという、
課題を背負い、サントリーは次の一歩を踏み出しました。
「ハイボール」といえば、戦争中から規制がかけられていた販売が許され、
国産ウイスキーが世の中に再登場した時に流行ったウイスキーの飲み方です。
戦後まもなく、高価な輸入洋酒を口にすることができない、
庶民でもウイスキーが味わえるとして一気に広がりました。
団塊の世代が、お酒に慣れ親しむ頃になると、
ウイスキーは「水割り」で飲まれるようになります。
日本人が口にしいてる、日本酒のアルコール度数が15%前後だったので、
それに近い度数が、もっとも味覚に合っていたからともいわれています。
加えて、サントリーが行った、和食店にウイスキーを置いてもらうセールス活動が、
普及に拍車をかけることになります。
「和食にウイスキーは合わない」という先入観を覆し、
和食に合う飲み方として「水割り」を推し進めていったのです。
ところが、83年にピークを迎えたウイスキーの市場は年々縮まっていきます。
日本酒や焼酎に嗜好が向いていた時には、
見向きもしてもらえない酒になってしまいました。
その理由は、ウイスキーの飲み方が「どうでもいい酒」にしてしまったからです。
ウイスキーといえば「水割り」といわれるほど、飲み方として定着しました。
一方、広く行き渡り過ぎた弊害からか、ミネラルウォーターでなく水道水で割ったり、
適当に水を加えるなどする店が多く、
ウイスキーはおいしくないお酒として、避けられることになったのです。
サントリーの創業者 鳥井信治郎氏がウイスキーの製造を夢見ていた頃、
本格的なウイスキーは、スコットランドやアイルランド以外の地では
不可能だと考えられていました。
仕込みから商品として熟成させるまで、何年もかかるうえ、
蒸留所の建設には会社の全資金をかけることになるため、
役員や経営者仲間からも猛反対を受けることになるのです。
「誰も出来ない事業だから、やる価値がある」
いくつかの事業を手放し資金を稼いで創めたのが、国産ウイスキーの製造でした。
現在のシェアは売上高の1割にも満たなくなってしまったが、
サントリーにとっては特別な分野なのです。