今も昔も、どこか似ている「浮き沈み」

 夏休みに入り、小さなお子様をお持ちのお父さんお母さんは、
 日中の過ごし方に、頭を悩ませる時期となりました。
 連日に亘る猛暑の中、外へ遊びに出すことも出来ず、
 家の中にいると暴れ放題…といった始末に。

 そこで、学校が休みに期間を狙って、盛んに行われているのが、
 鉄道沿線を巡る「スタンプラリー」です。
 JR各社が行っているテレビアニメを題材にした、
 スタンプラリーが有名なところでしょう。

 私鉄系のスタンプラリーでは、人気ゲームのキャラクターも加わり、
 ますます盛り上がりを見せています。
 夏場に客足が落ちる電鉄各社にとっては収入の穴埋めとして、
 親にとっては、安上がりなイベントとして、双方に重宝されているそうです。

 京都に電車が登場したのは、明治28年のことです。
 首都である東京に先立ち、日本初の電車として
 路面電車を走らせたことが始まりとされています。

 その後、その路面電車は京都市の公営として、
 市街地中心部および南部を走る
 「市電」として運営されるようになります。

 「嵐電」は京都市西部と市電の運行区域を結ぶ、
 交通手段として1910年に開業します。
 当時、電車を運営する会社の多くは電気の供給事業も行っており、
 嵐電も電気の供給事業会社(現在の電力会社)に吸収され、
 住民への電気供給と、交通の足として発達していく事になります。

 しかし、マイカーの普及と共に乗客数は減少を辿り、
 市電の廃業も加わり経営は日増しに苦しくなっていくのです。
 現在は、大阪市南部と京都、滋賀を結ぶ鉄道、
 「京阪電気鉄道(京阪)」のグループ会社となっています。

 明治の経済界を引っ張って活躍し、
 「銀行の父」と称された渋沢栄一氏らの掛け声の下、
 並行する国営鉄道(現在のJR)に対抗する鉄道として発足したのです。

 京阪の運営も決して順風満帆ではありませんでした。
 自社路線に並行する路線を他社に開業させることを阻止するため、
 大阪市北部から京都、奈良、和歌山を結ぶ各路線を開業しようとしましたが、
 不況により計画は頓挫し、いくつかの路線は他社に明け渡すことになります。

 一時、戦争による政府の統制により
 「阪急電鉄(阪急)」と合併することになりますが、
 戦後、再度分離する際には、残った大阪市北部から京都を結ぶ路線を、
 阪急に明け渡すことになってしまうのです。

 最初の名は、箕面有馬電気軌道といい、大阪と紅葉名所や温泉地を結ぶ、
 当時は遊覧電車にしか見られてなった鉄道でした。
 しかし、その鉄道は小林一三氏の斬新なアイデアにより、
 後の阪急電鉄と変身するのです。

 新しいインフラの誕生と、直後の乱立、統合から淘汰への流れは、
 インターネットや携帯電話に係わる事業の流れとダプってしまいます。
 成長分野へ足を踏み入れることは、企業の成長にとって大切なことですが、
 その後には同じような流れがあることをお忘れなく!

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