スポーツ用品のアシックスは、海外での展開に勢いが増しています。
世界では、ナイキとアディダスの二強状態が続いており、
間をあけて、3位のプーマが追いかけるという構図が、
アシックスの躍進により書き換わる可能性があるそうです。
このところのプーマの売上は約4000億円、
アシックスは10年前から比べると約3倍になり、
その金額をしのぐ勢いで伸びているのです。
原動力になっているのは、「オニツカタイガー(オニツカ)」ブランドです。
ヨーロッパを中心にして、かつての看板ブランドであった、
オニツカの人気が続いているのです。
現地法人が赤字続きで苦戦していたところ、
起死回生を狙って投入したところ大当といった格好です。
当時、レトロなデザインが流行し始めていたところでしたが、
底が薄く、デザインや色使いがシンプルなオニツカは、ピッタリでした。
ブティックに並んでいてもおかしくない様、天然の皮革を贅沢に使い、
イタリヤやフランスの高級店だけで売ったのです。
アシックスはスポーツ用品メーカーとしては後からの出発でした。
ミズノをはじめとする、大手メーカーの勢力が、
野球、テニス、ゴルフの広範囲のアイテムに亘っており、
数名程度社員の会社には、到底太刀打ち出来ないと思われました。
そんな状況の中で、アシックスの創業者 鬼塚喜八郎氏が決めたことは、
一点に集中して力を注ぐこと。
加えて、大手が取り組んでいない分野、それはバスケットシューズの生産に、
全精力を集中させることでした。
創業の6年後に、バスケットシューズはトップ商品に育っていました。
大手メーカーの倍の値段もする、オニツカ(アシックスの前身)の
バスケットシューズを、選手は競って買ってくれたのです。
その理由は、モノがよく、性能が飛びぬけていたからです。
選手は値段より、履き心地がよく、思うように動けることを望んでいたのです。
成功を受け、鬼塚氏はマラソンシューズの開発に挑戦します。
ひとつの商品分野で、市場シェア50パーセント以上になるまで、
持てる力を集中し、その分野でトップとなる商品を作り上げる。
次には、スポーツシューズに力を移していったのです。
こうして、オニツカはスポーツシューズの総合メーカーへと育っていきました。
「中小企業は、もてる力が小さい。ひとつの目標をはっきりさせて、
徹底して追及していかないと、大企業には勝てない」
「堅い板に穴を開けようとするとき、
大きな鉄の棒で、力をいっぱい入れてもダメだが、
キリを使って揉んでいけば、案外簡単に開けることが出来る」
その後、スポーツウエアメーカーと合併し、
総合スポーツ用品メーカーのアシックスとして出発するのですが、
その根底には、弱者の戦略が受け継がれていきます。