地元で、2月に行われた京都マラソンの経済波及効果が、
46億円近くに上ることがわかりました。
先ごろ行われた実行委員会で報告があったそうで、
旅館業や飲食関連の会社はホクホク顔のようです。
マラソン・ブームやテニス人気はあるものの、
国内は少子化が進んでいく傾向には変わりはありません。
スポーツ用品の販売は先細りになることは避けられないことから、
メーカー各社は、用品販売以外に収益の柱を求めているそうです。
スポーツ用品メーカーのミズノ(美津濃)は、
スポーツ施設の運営受託を積極的に取り組んでいます。
商品開発や、スポーツ選手のサポートを行ってきたノウハウを生かし、
運動プログラムの開発、イベントが好評だそうです。
15年度からは、関西地域での水泳競技施設のひとつである、
京都アクアアリーナなど、京都市内でも3ヶ所の運営を行うことになりました。
自治体の財政負担を軽減する意味から、
行政サービスの合理化が求められていることから、
その受け皿として、意欲的に受託を進めていくそうです。
その昔、子供には体を動かすことが一番の遊びだった時代、
スポーツは、勝敗を争うと共に、
駆け引きのスリルを味わうことができるものでした。
いつしか、スポーツはファッションと一体化して、
一つのブームを作り上げるように変化していきます。
このような流れは、日本のスポーツ普及には欠かせない
一人の人物の影響が多分にあったのです。
奉公先の呉服屋で外回りの途中、
然目にした、生まれて始めて見る野球の試合。
高鳴る思いを忘れることが出来ず、
やがて青年はスポーツ用品を扱う洋品雑貨店をオープンします。
誰よりも野球好きであるがゆえ、
選手、観客、みんなの気持ちが手に取るようにわかります。
その気持ちを形にするため、試行錯誤の日々が続きます。
日本にスポーツ用品を広げた草分け的存在が、
ミズノの創業者水野利八氏なのです。
水野氏は時代の感覚を見事につかみ、
スポーツ用具を「ファッション」と位置づけ、
流行に敏感な学生に狙いを定めていきます。
『ランニングパンツ、オーバーセーター、カッターシャツ』
これらの名前は、水野氏が付けたものです。
カッターシャツは、なんと「勝った」シャツから
名づけられたというのですから、お見事なものです。
その中で象徴的といえるのが、
太い毛糸、長袖、ダブルの前あわせ、大きなボタンを付けたオーバーセーター。
学生の間で大ヒットとなり爆発的に売れたのです。