他人事ではない。事業の屋台骨が無くなったら…

 アパレル大手の三陽商会が、英国の高級ブランドとライセンス契約し、
 国内展開していた「バーバリー」が、6月で契約終了となりました。
 売上の半分近くを占めると噂される屋台骨を失う事態に…
 業界にかんしていなくても、今後の動向には関心がわきます。

 同社とバーバリーは、1970年にライセンス契約を結び、
 40年以上の間ブランドを育て上げました。
 日本でバーバリーの名を広く浸透させたのは、
 三陽商会の力があってからこそ成しえた事ともいえます。

 特に、90年代中頃から手がけた、日本独自の若者向けブランドは、
 それまでの中高年向けのイメージを一新するものでした。
 ファッション雑誌に紹介され、ちょっと背伸びした上品さが人気となり、
 瞬く間に女子高校生や大学生に広がりました。

 石油販売会社の経理をしていた吉原信之氏が、
 独立して手がけたのは切断砥石の販売でした。
 終戦の混乱期には、軍から出た廃材に目をつけ、
 防空暗幕や風船爆弾用の紙、スポンジなどを売りに回りました。

 暗幕は服に仕立て上げ、風船爆弾用の紙は子供用の雨合羽へ、
 スポンジはボールに加工しました。
 どれも、廃材だけにいつでも手に入るというものではなく、
 量にも限りがあったため、商売には向いていませんでした。

 ある時、少しではあるものの、
 絹(オイルシルク)を手に入れる目処がつきます。
 やっと、継続的に仕入れることが出来る商品にめぐり合い、
 この生地を使ってレインコートを作る商売をしようと決意したのです。

 最初の頃、レインコートをデパートへ営業に出向くと、
 決まって、担当者から製造元のブランドでは困ると条件をつけられました。
 吉原氏は、「製品に責任をもちます、お店に迷惑をかけません」と、
 何度も説得を繰り返し自主ブランドでの納品に漕ぎ着けたのです。

 商品の良さが顧客の目に留まり、三陽商会はコート業界ではトップとなり、
 コートの「サンヨー」として名が知れ渡るようになります。
 そして、レインコートを「雨よけ」の実用品から、
 ファッション商品の仲間入りをさせたのです

 一方、このままでは小さな商売に終わってしまうという危機感から、
 早くから、海外の有名ブランドと提携することを考えます。
 その理由は、「いろんな人の知恵と手をつかってやっていく」
 ことだと語っています。

 自社以外のブランドという力を借り、
 自分では出来ないことを行って事業を発展させていったのです。
 原動力となったのが、海外ブランドのライセンス商品でした。

 こうして、レインコートから出発した「サンヨー」でしたが、
 スーツ、ドレス、カジュアルウエアにアイテムを増やし、
 アパレルメーカーと成長していくのです。

 早速、バーバリーの後継を目指す新ブランドでは、
 ワンピースやブラウスに撥水加工を施した新商品を発表するなど、
 得意分野のノウハウを利用して、認知に向けて力を注いでいます。

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