店とお客をじっくり観察…後発のハンデを克服

 日本人からするとビックリしますが、
 アメリカでは緑茶に砂糖を加えて飲むそうです。
 甘い物好きのアメリカ人、何でもかんでも砂糖を入れるんだと思っていたら、
 緑茶も「お茶」の仲間、紅茶と同じように甘くしても、
 おかしくないことに気づかされました。

 肥満に対して敏感になっているアメリカでは、
 健康志向からか、無糖の緑茶に人気が出ていることが紹介されていました。
 今、アメリカを始めとして海外での開拓に力を注いでいるのが、
 「お~いお茶」ブランドで有名な飲料メーカー伊藤園です。

 国内でも、瓶詰や缶入り飲料の種類が、今ほどは多くなかった80年代。
 ミネラルウォーターは高級レストランでしかお目にかからない飲み物で、
 麦茶や緑茶などは、わざわざお金を出して買うものではありませんでした。
 業界では、「無糖の飲料は売れない」というのが常識でした。

 そんな飲料業界に「無糖飲料」を引っ提げて参入してきたのが、
 伊藤園 本庄正則、本庄八郎の兄弟だったのです。
 自動車のセールスマンを経て、
 二人で会社を設立しお茶の販売をしていましたが、
 世界で初めて缶入りウーロン茶を開発し、81年に飲料事業に参入します。

 今まで知られていない飲み物だけに、
 商品を知ってもらうことから始めなければなりません。
 足がかりとして選んだのが、酒場に売り込むことでした。
 ウイスキーの水割りの代わりに、ウーロン茶を水で割ることを勧めたのです。

 酒場で客の相手をする女性は、
 当然のことながら、毎日酒を飲まなければなりません。
 ウーロン茶なら酔うこともないし、
 安いウイスキーでもウーロン茶で割れば、
 美味しくなることを提案したり、取引先を増やしていったのです。
 夜での飲み物として普及させるのと平行して、
 昼間の販売を拡大していきます。

 飲料メーカーであるサントリーやキリンと缶ウーロンの技術を提供し、
 無糖飲料を拡大することを目指しました。 
 さらに、野菜ジュースを最初に開発したのも本庄兄弟です。
 子供の嫌いなニンジンをお母さんが食べさせたいという現場の声を耳にして、
 それをきっかけに商品化をしたのでした。

 加えて、旧態依然としていたお茶業界の古い体質を一から見直しました。
 生産から小売まで、何段階にもわたる流通過程を経る、
 流通システムを一変させ、販売網を飛躍的に拡大させたのです。

 飲料メーカーとしては後発でありながら、
 お茶製品の分野では業界トップを競う規模になれたのは、
 自動車のセールスマン時代から培われた営業力によるものでした。

 「お店と消費者を観察して、どうすれば買ってもらえるかを教えてもらう。」
 取り扱っている商品を売り込むより先に、
 お客の求めていることを解決することが、
 何よりの営業であることがわかっていたのです。

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