逆風の勢いが収まらない百貨店業界ですが、
先月末にも、東京の都心の店舗が姿を消しました。
新宿三越アルコットが閉店したのです、
後には家電量販店のビックカメラが入居を決めているそうで、
覇者の遷り変りは、時の流れを感じずにはいれません。
このことで憂き目をみたのは、
テナントとして入居していた書籍販売大手のジュンク堂書店です。
ネット通販や電子書籍化の勢いに押されている書籍小売業界では、
新しい移転先も決められず、泣く泣く閉店となりました。
最終日にむけて行われたイベントでは、社員自らが企画したという、
恨み節ともとれるPOPが、新聞などで話題とされました。
「本音をいえば、この本を売りたかった!」
収益効率に親子ほどの差の開きがある、家電量販と書籍小売、
唇を噛み締めてこらえるしかなかったのでしょうか。
ジュンク堂書店は、創業者の工藤恭孝氏が、
父親が営んでいた書店の一部署を譲り受け開業したことに始まります。
大学は卒業したものの、就職先が決まらずぶらぶらしていた工藤氏は、
父親が経営していた書籍の取次会社に呼ばれることになります。
当時の書店は、駅前や商店街に店舗を構え家族で経営する、
いわゆる生業と呼ばれる小さな店舗がほとんどでした。
その書店を取引先とする取次会社も、
決して将来性があるとは言い難いものでした。
父の会社では、新しい試みとして、タバコ屋や雑貨店の店先にスタンドを置き、
雑誌を売る方法や、百科事典の月賦販売を始めました。
この方法は、子ども向け百科事典につながることとなり、
ベビーブームと重なって大ヒットすることになります。
やがて、大阪では紀伊國屋書店、旭屋書店と、
大型書店の出店が相次ぐようになります。
これからは大型書店の時代がやってくるとの思いから、
小売のために神戸に書店をオープンすることになり、
それが神戸・三宮1号店となります。
神戸の三宮を拠点に書店を展開していたジュンク堂書店は、
軒並み、神戸とその周辺の店舗が被災することになります。
震災を契機に、工藤氏は神戸を中心とした書店チェーンから、
積極的に全国書店チェーンを目指し事業展開を進めたのです。
地域の経済は大打撃を受け、競争力が弱った土地に、
競合が続々と乗り込んできたのです。
売上は大きく落ち込み、経営の維持、雇用を確保するためにも、
県外に売上を求める外に手が無かったのです。
時は経ち、今や脅威となる相手は同業ではなくなっています。
ネット通販が大きく力を伸ばし、電子書籍の本格化も目の前です。
本を買うお客が、書店を訪れるという前提はなくなり、
全てのお客のニーズを満たす書店経営は成り立たなくます。
書店の規模にかかわらず、来店するお客にターゲットを絞り、
それに合わせて、品揃え、店舗物件を選ぶ工夫が必要となります。