以前にも紹介したことがある「便利屋さん」、
専門的なところに頼むまでもないような大工仕事など、
ちょくちょく利用させて頂いています。
お客様の確定申告でその名前を知ってのことでしたが、
母体は葬儀屋であることを知って驚きましたが、
先ごろ高齢者の生活支援や終活を行うサロンをオープンされました。
世帯の高年齢化が進み、大掃除や、家具の移動、庭木の剪定など、
力仕事が必要なときに、気軽に相談できることは心強いことです。
さらに、日常的につながりを持つことにより、
イザというときには、葬儀や遺品の整理などの相談へ繋いでもらえるのです。
81年に家庭向けの防犯サービスを始めたセコムでは、
2005年から、便利屋業とも呼べる「ホームサービス」を展開しています。
お風呂の掃除から墓参りの代行などの家事代行、
鍵の交換やパソコンの設定のトラブル対処まで、
あらゆる場面での相談を受け付けているそうです。
サービスの種類ごとに、専門の業者と提携し、
現場での作業に当たるのは業者であるそうですが、
お客様から悩みを聞き出し、解消につなげるのがセコムというわけです。
その根底にあるのは、防犯サービスから生まれる信頼関係なのです。
世の中では、警備は自社で行うのがあたりまえ、
社員の宿直や警備社員を置くことで盗難等に備えていました。
飯田亮(まこと)氏が警備業を、日本で最初にはじめたのが62年のこと、
「電話帳に載っていないような商売はダメだ」と父親に勘当されてまでも、
はじめた警備業でありました。
結果は泣かず飛ばず、初年度の契約はたった一件だけでした。
一方、未知なことには困難なこともたくさんある代わり、
最初の者でしか味わえないチャンスもたくさん巡ってきました。
思いがけず、開業2年目に東京オリンピックの選手村を警備する、
大きな案件が持ち込まれたのです。
この仕事は、ピーク時に100人近い社員の派遣を行い、
マスコミにも取り上げられイメージアップに繋がることになります。
さらに知名度が上がることとなったのは、
テレビドラマのモデルとして取り上げられたことでした。
番組は、断続的に7年近くも続くこととなり、
「ガードマン」という職業が社会的に知られることとなります。
日本で初めての警備会社、電話回線を使った遠隔監視システムの導入、
第二電電(現在のKDDI)の設立に参画、医療事業へ進出。
飯田氏は常に未知なものに挑戦しました。
当然の事ながら、全てがうまくいくはずも無く失敗することもありました。
日本は様々な分野で規制が働いていて、その規制が緩和されるまで、
時期を待たないといけないこともあります。
「世間でまかり通っている慣習とか常識とかには、
ずいぶん不合理なものが多い」
また、常識を疑って考えることも大切です。
事業を起こすとき、周りがどんなに有望だといっても、否定して疑ってみる。
世の中は儲けられることより、損することが多いのです。
新規事業がどれだけ損に耐えられるか計算できていれば、後は安全なのです。