今年で2回目となる京都マラソンが目前に迫ってきました。
市民参加型のマラソン大会は、どこも人気があり、高い競争率がネックです。
前回は、応募の枠からはずれ涙を飲み応援に回った方も多いはず、
待ちに待った開催がいよいよです。
「ただ走るだけ」といっても、長い距離を続けて走る練習をしておかないと、
足や膝、腰といった関節部分に、故障が生じたり疲労が溜まることになります。
予備練習をきちんと行わず、安易な気持ちでチャレンジすると、
翌日からは悲惨な事になってしまうので、充分ご注意を。
このような事を、少しでも軽減しようと、
様々なメーカーから適度な加圧によって筋肉をサポートする、
コンプレッションウェアというものが発売されています。
また、加圧だけでなくテーピング効果を兼ねたものまで登場しています。
5年位前までは、ランニングといえばジャージ又は短パン姿だったものが、
男女問わず、タイツ又はレギンスのうえに、
短パンを履くというお洒落なスタイルが目立つようになりました。
理由は、インナー(肌着)として利用していたものが、
洋服のレギンス・スタイルの普及もあり、
アウターとすることに抵抗がなくなったからだそうです。
肌着メーカーのワコールでは、婦人用ガードルに採用した技術を発展させ、
テーピングの理論を採り入れたコンプレッションウェアを商品化しています。
この分野の商品では、決して安くはないものの高い人気を得ています。
ブラジャーを日本に普及させたことで有名なワコールですが、
塚本幸一氏は、その一歩は「行商」から始まったと思い出を語っています。
第二次世界大戦終盤、配属された部隊は南方戦線で絶体絶命の攻撃にさらされ、
戦友の多くは命を落としますが、九死に一生で終戦を迎えることができます。
復員して実家に戻ったその日、
生還の挨拶回りに二軒の家に立ち寄ることになります。
その途中、たまたま一方の家人が持っていたアクセサリーを、
もう一方が欲しがっていることを知り、
双方を行き来して取引の仲介をすることになります。
仲介の礼として手数料を手にし、そのことが塚本氏の初商いとなったのです。
食べ物にも困窮する状況であっても、女性にとって身を美しく飾ってくれる、
アクセサリーへの関心は、決して無くなっていない事を感じ取ります。
加えて、アクセサリーが統制品に該当せず、自由に取引できることも知るのです。
早速、次の日からはネックレスやボタン、ハンドバックなどを仕入れては、
大阪や兵庫を歩き回り、洋装品店や化粧品店を見つけては飛び込み、
売り歩く日々が始まるのです。
仕入れては売り、売っては仕入れる、「行商」の始まりでした。
アクセサリーや雑貨の行商を続けて、買主の希望を聞いているうちに、
女性が欲しがっているものや、関心が何処にあるかが、
つぶさにわかりようになります。
戦後、服装の洋装化が進むにつれて、女性の悩みも生まれてきます。
それまで、胸を美しく見せるという習慣がなかった日本では、
女性の胸の位置が低く、洋服が美しく着こなせなかったのです。
このことに気づいた塚本氏が日本人向けに改良したのが、ブラジャーだったのです。
商才というものが、実際にあるかどうかはわかりませんが、
経営に長けた人物には、無意識に人の欲しているものや、
喜ぶことがわかる感性を持っている人がいます。
塚本氏は、ほんの些細なきっかけから、
女性が心の奥にしまっていた関心を、ひとつの形に作り上げ、
大きなビジネスにつなげていったのです。