このほど、今年度の路線価が公表されました。
路線価は、本来、相続税や贈与税などの申告をする時、
土地の評価額の計算に利用されるものですが、不動産を取引する際、
基準にされる事も多く、土地価格の目安となっています。
この路線価、バブル景気時の1989年をピークに下がり続け、
一時期持ち直していたものの、また4年連続の下落となっています。
面白いことに、路線価同様にずっと下がり続けているものが、
ストッキングの国内生産量です。
女性がストッキングと呼ぶのは、いわゆるパンストのこと。
ボディコン・ブームで89年にピークに達した後、
年々、その需要は下がり続け、昨年度はピーク時の10分の1程度まで、
縮小していたそうです。
ピークが去った後、女子学生を中心に「ナマ足ブーム」が訪れ、
厳しい冬の時代を迎えることとなります。
その後も、厚手のタイツから、レギンス、トレンカと、
ストッキングは女性から敬遠され続けていました。
ところが、今年に入り復調の兆しが現れてきたそうです
レギンスなどの普及から、その上にショートパンツやワンピースを着る、
ファッションが流行ってきたことが理由だとか。
脚を出すことに抵抗感が薄れてきたことが後押しとなり、
素足をカバーするための、ストッキング利用が見直されたそうです。
ストッキングは、駐留地となった戦後の日本に、
アメリカから入ってきたファッションのひとつです。
それまで、国内では絹製の高価なものしかありませんでしたが、
既に、アメリカではナイロン製のストッキングが普及していました。
国内で初めてストッキングを発売したのは、肌着メーカーのアツギです。
ストッキング欲しさに米兵に近寄っていく女性を見て、
堀録助氏は国内でストッキングを生産することを決意します。
戦後、堀氏は厚木編織(現 アツギ)を立ち上げ、
捕鯨用のロープ等を生産していましたが、
設備を整え、肌着や靴下の製造を試みていたところでした。
それまでのストッキングは、織り上げた生地を後ろ側にあたる部分で、
縫い合わせて脚の形にするものでした。
さらに、この機械は当時の値段で何千万もするとても高価だったのです。
アメリカで、縫い合わせをしないシームレスという方法が、
話題になっていることを知ると、早速その製法の研究を始めます。
機械メーカーに開発を依頼して、国産第一号のストッキングを完成させたのです。
パンティ・ストッキングとして全国一斉発売されたのが68年のこと、
丈夫で、美しく、それでもって安価なストッキングは、
国内はもとより、海外の評価も高く、重要な輸出商品となります。
一足あたり350~500円という発売当時の価格は、
時代を経た今でも変わらず、物価の優等生となっています。
約20年ぶりにあったたスポットライト、
どこまで人気が上昇するか、これからが楽しみです。