このところの長引く円高で、国内企業が悲鳴をあげています。
最近、半世紀、四半世紀と続いている企業の経営者とお話しすると、
必ず話題に上るのが、円相場のことです。
かつて、日本は円安の恩恵を受けて、高い経済成長を続けていました。
戦後は70年代初めまで、対ドルが360円に固定されており、
アメリカにとって下請け工場としての役割を担ってきました。
その後も、欧米の物価に対して低い水準の円相場に抑えられていました。
円相場が、上昇するにつれ、繊維産業や重工業が衰退していったのと同じ様に、
現在は、精密機械業界が危機に立たされています。
日本のお国芸と呼ばれる産業は、時代と共にめまぐるしく移り変わってきました。
繊維産業も、綿や絹などの天然素材から、化学繊維に移行し、
今や特殊なものや高級品を除き、中国や東南アジアにとって代わられています。
タオルの一大産地である今治は、世界でも屈指のタオルの生産地でした。
しかし、90年代後半から安い輸入タオルに押されて、
現在は5分の1程になっています。
この状況に、今治市のタオルメーカーが加盟する組合では、
どうにかしてこの苦境を乗りきることが出来ないかと、
ブランド化を進めているそうです。
差別化を図るため、「今治タオル」をブランドとして確立することを目指します。
あれもこれもと欲を出さず、特徴ある一点だけにポイントを絞り込んで、
徹底的に磨きを掛ける、ポイントは「高品質の白」。
高い吸水性と代名詞ともいえる白タオルを前面に打ち出して復活を狙っています。
宮崎 輝(かがやき)氏が社長に就任した61年、旭化成はどん底の状態でした。
合成繊維に移行するため手がけた、アクリル繊維の品質が悪く、
売上の半分に相当する在庫を抱えてしまったのです。
ライバル会社の東レ、テイジンにも大きく離され、ボーナスの支給も出来ず、
カーペットやズボンなどの現物で支給する有様でした。
宮崎氏は考えていました。
旭化成を合成繊維メーカーへ脱皮させること、そして脱繊維化すること。
そして、若い社員と調査、練り上げて方針がきまりました。
一、合成繊維メーカーになるため「ナイロン」を事業化する
一、脱繊維化する手始めとしいて、「合成ゴム」の生産をはじめる
一、新しい事業である、建材に進出する
これらの事業を、「三種の神器」をもじって「三種の新規」と名付けて
作戦を開始したのです。
業績不振の最中、このような新規事業がすんなり認められるはずがありません。
宮崎氏は熱心に説得を続けた結果、反対派も根気負けして
事業に着手することが出来たのです。
宮崎氏には自信がありました。
彼は、ゴムなど20年後には絶対モノになると確信していました。
なぜなら、当時の新規事業にはみんな先進国のモデルがあったからなのです。
「技術導入先があるから、やさしいんだ」
綿の歴史は、再生繊維に変わり、次に合成繊維になる。
これも、いずれはだめになる。
そのためには何かしないといけないのです。
「100点満点の会社で満足していてはダメ!
30点分はリスクを持った事業を持つべきだ」