04年に原田泳幸氏が社長に就任して以来、
快進撃を続けていた日本マクドナルドに陰りが見え始めています。
売上・利益とも拡大を目指すのが、上場企業であるが故の宿命とはいえ、
膨れきった風船は、萎むか、弾けるか選択に迫られています。
100円マックの発売やセットメニューの投入で、
他社を突き放し、ハンバーガー業界で一人勝ちを収め。
さらには、カフェ・メニューの充実を進め、
ビジネス客などをカフェ・チェーンから奪い取ったのも記憶に新しいところです。
ところが、5月に入ってからの新価格は、小刻みな値上げと値下げが混在し、
これまでのような斬新さがないだけに、憶測混じりの話題が交錯しています。
肩を並べる相手がいないだけに、自らを競争相手として「殻」を打ち破れるか否かが、
評価の分かれ目となるでしょう。
レイ・クロックは一度にミルクシェイクを何杯も同時に作れる、
「マルチミキサー」のセールスマンとして第二の人生を賭けていました。
「夢のような機械が出て来た」と思うだろうと期待していたところ、
店のオーナーからは全く良い返事が返って来ませんでした。
たくさんのミキサーを1台の「マルチミキサー」に代えて、
故障がおきると仕事にならなくなるというのです。
そんな考え方を覆すことからこのビジネスは出発したのですが、
いつの時代も、新しいものをわかってもらうには骨の折れる事だけれど、
そこには成長の芽があり、わかってもらえる喜びがありました。
彼こそが、マクドナルドを全世界に広げた人物です。
わずか5年足らずで、15セントのハンバーガーを、
年間1億ドルも売り上げるビジネスに成長させたのです。
きっかけは、不思議な電話を受けたことに始まります、
各地の店から注文が次々と入ってきたのです。
オーナーの口から出される言葉は、
「マクドナルド兄弟が使っているのと同じ、マルチミキサーを売ってほしい…」
興奮を抑えることができず、早速そのハンバーガーショップにいってみると、
目の前の光景に唖然とします。
店には「マルチミキサー」が8台あり、一度に40杯のシェイクが、
次から次へとお客の下に運ばれていくのです。
さらに、途絶えることの無い客の注文にテキパキと対応して、
流れ出てくるようにハンバーガー、フライドポテトが客の手に渡されました。
話を聞けば聞くほど、絞り込まれたメニュー、
効率よく作業できるよう配置された店内レイアウト、
単純化された作業、全てが完璧に出来上がっていました。
マクドナルド兄弟が経営する店は、これまで見てきたどの店よりも完成度の高いものでした。
思わず、彼はこんな店を全国に広げてみたいと声を出してしまいました。
自分の「マルチミキサー」を置いてもらうために…
しかし、各地の新聞に急成長の雄としてもてはやされるのと裏腹に、
会社の経営は決して良いものとはいえませんでした。
たくさんの出店に伴い支払いは桁違いに増えていったので、
給料の支払もままならない状態だったのです。
会計上は将来の成長度合いに応じて費用処理できるように、
「発展的会計」と称して独自の会計処理をしていたので、
たくさんの利益が上がっているように見せかけていただけでした。