年明け早々、サントリー(HD)が海外酒造メーカーを買収すると発表し、
景気の良い話題でニュース面を賑わしています。
昨年に、清涼飲料事業の子会社を上場し、軍資金を手に入れて、
満を持して…ということになるのでしょう。
これにより、サントリー(グループ)のスピリッツ部門の売上高は、
世界第3位となるそうです。
しかし、佐治社長が子会社上場の際、取材で語っていますが、
肝心なのは、買収した会社の価値を高められるかどうかなのです。
つい最近でも、資生堂が10年に行った海外化粧品メーカーの買収では、
思ったほど業績が伸びず、逆に本体の経営の足を引っ張ることとなり、
社長交代という事態に発展しました。
国内市場の先細りを、海外で補おうとするのは、
グローバルクラスの会社では、今やあたり前の発想です。
しかし、外へ向かうのと併せて、過去に自らが築いた道を作り直すのも、
成長の為の大きな使命といえます。
資生堂でも、創業初期における成長の礎となった、
専門店の見直しに迫られています。
明治の初め、薬といえば漢方薬が主流で、
世の中には粗悪な薬が多かった。
質の高い薬を提供して、人の命を守ること。
福原有信は日本最初の西洋薬局を開業し、
文明開化による西洋化の技術と日本古来の精神を融合するという
意味をこめて、その名を「資生堂」と名づけました。
最初は、高価な薬ばかり扱ったため、経営はかなり苦しかったそうです。
理想としたのは「医薬分業」でした、
それは、薬の生産から、医師の処方によって、薬を調合するまで、
一貫して行うことです。
資生堂の名を知らしめたのは、日本最初の「ねり歯磨き」でした。
焼き塩や房州砂に香料を混ぜた従来の歯磨き粉にたいして、
値段の10倍以上もする高級品を発売したのです。
福原氏は新聞や雑誌へ積極的に広告を利用し、
高級感と優秀さを世間にアピールしたのでした。
化粧水『オイデルミン』などの発売をきっかけに、
本格的に化粧品の分野へ進出します。
『オイデルミン』は東京帝大教授の処方になるもので、
ガラス容器の美しさもあって「資生堂の赤い水」として評判を呼び、
現在も愛用される100年以上続く超ロングセラー商品になりました。
資生堂が化粧品中心に事業を移していったのは、
有信氏の三男、信三氏が社長に就任したことが影響しています。
芸術家志向の信三氏は、意匠部を発足させ美術学校の学生や若手画家を
スタッフにして、ポスター、新聞広告、パッケージデザイン、
店舗設計などを手がけていきます。
資生堂のトレードマークである「花椿」は、
信三氏自らがデザインを手がけたほどで、
「商品をしてすべてを語らしめよ」が口癖で、
商品名、容器、パッケージすべてに神経を使いました。
また、日本初の(ボランタリーチェーン)専門店制度を採用して、
全国に「和魂洋才」の資生堂文化を広めて、
福原氏の良質な薬への追求は、体だけでなく
「心に効く」化粧品という妙薬を生み出したのです。