住宅のリピート!気が遠くなるサイクル…

 ハウスメーカー各社は、高度成長期に地方や郊外地域へ、
 ニュータウンの開発を積極的に進めました。
 当時、住宅を購入し住み始めた30~40代の夫婦も、
 今や70代を超え、子供も都心部のマンションに暮らすなど、
 地域の高齢化が目立っています。 

 大阪郊外に位置する千里ニュータウンも万博景気に沸いた1975年をピークに、
 人口は減少に転じました。
 少子・高齢化と併せて、建物の老朽化、近隣センターの衰退などの課題を受け、
 行政等が連携して再生化計画を進めています。

 ハウスメーカー大手の大和ハウスでは、
 市等と連携して兵庫県三木市の団地再生に取り組んでいます。
 また、同社が保有する高齢者向けサービスの会員向けに、
 都市部からの移住者を募り、郊外団地の空き家解消を目指します。

 「住宅は木造でないといけない」という概念を取り去り
 「プレハブ住宅」を生み出したのは、大和ハウス創業者 石橋信夫氏です。
 戦後、復員して間もない時に、関西地方を襲った大型台風。
 無残に吹き飛ばされた住宅を目にして、その悲惨さを哀れんでいた石橋氏は、
 ふと住宅の周りにある、田んぼの稲や、
 竹林の竹が折れていないことを不思議に思ったのです。

 頑丈な木造で作られている住宅より、風になびくような稲や竹の方が
 どうして丈夫なのか「なぜだろう」と考えました。
 「稲の茎も竹の幹も円形で中空をしている…

 それならば、同じような形体をしている鉄パイプを使えば、
 丈夫な住宅が出来るのではないか」
 石橋氏は、早速この鉄パイプを使った家屋を、
 「パイプハウス」と名付けて販売したのです。

 戦後のベビーブームの影響で、日本中の小学校は子供たちで溢れていました。
 増える子供たちで教室が足なくなっていましたが、
 校舎の増築に間にあわず、また、増やした教室は何年か経てば、
 使わなくなってしまうこともわかっていました。
 そこで、考え付いたのが「パイプハウス」を利用した教室だったのです。

 戦後のベビーブームの影響で、日本中の小学校は子供たちで溢れていました。
 増える子供たちで教室が足なくなっていましたが、
 校舎の増築に間にあわず、また、増やした教室は何年か経てば、
 使わなくなってしまうこともわかっていました。
 そこで、考え付いたのが「パイプハウス」を利用した教室だったのです。

 各学年の生徒の人数に合わせて、仮設の教室を作り、
 その小学生が中学に進学したならそのまま、
 中学へ持っていくという「移動教室」を生み出したのです。

 また、仕事に追われる中、趣味の川釣りに出かけた時のことです。
 夕暮れ近くになっても、家路に着かない子供たちがたくさんいたのです。
 心配になり尋ねてみると
 「帰っても、家が狭くて、勉強する部屋も、遊ぶ場所もない」と答えたのです。

 子供たちに簡単でもいいから自分の部屋を与えてあげたい。
 そんな気持ちから、家の庭に簡単に建てられる「勉強部屋」を考えました。
 柱には軽量鉄骨を使い、屋根と壁には断熱材を使った
 「ミゼットハウス」を生み出したのです。
 これが出発となり、お客様からの要望から「トイレ」「台所」と付け加えて
 本格的な「プレハブ住宅」となるのでした。

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