今月11日、こちら京都では初めてのシティ・フルマラソンが開催されます。
東京、大阪に続けとばかりに、古都のイメージを前面に打ち出して、
大都市で行われる市街地を走り抜けるシティマラソンとは、
チョット趣向を変えたマラソンコースとなっています。
京都市内中心部の北寄りを、西から東に向けて走り抜けるコースとなっています。
面白いことに、送り火が焚かれることで有名な五山を眺めることができる道を、
あたかもお寺観光をするごとくコースが採られています。
しかも、高低さは結構なもので、観光気分で走り抜けるランナーが、
どれほどいるかは心配なところです。
また、ロンドン五輪に向け、マラソン代表の顔ぶれがそろそろ決まりつつあります。
26日に行われた東京マラソンで、五輪代表の座を確実にしたのは、
シード外の藤原選手でした。
注目された選手は、なかなか上位に上がってこられないマラソンの厳しさ、
コンスタントにコンディションを整えれるか否かに勝負が決まります。
アシックスはスポーツ用品メーカーとしては後からの出発でした。
ミズノをはじめとする、大手メーカーの勢力が、
野球、テニス、ゴルフの広範囲のアイテムに亘っており、
数名程度社員の会社には、到底太刀打ち出来ないと思われました。
そんな状況の中で、アシックスの創業者 鬼塚喜八郎氏が決めたことは、
一点に集中して力を注ぐこと。
加えて、大手が取り組んでいない分野、それはバスケットシューズの生産に、
全精力を集中させることでした。
昭和24年に創業し、6年後にバスケットシューズはトップ商品に育っていました。
大手メーカーの倍の値段もする、オニツカ(アシックスの前身)の
バスケットシューズを、選手は競って買ってくれたのです。
その理由は、モノがよく、性能が飛びぬけていたからです。
選手は値段より、履き心地がよく、思うように動けることを望んでいたのです。
その後、鬼塚氏はマラソンシューズの開発に挑戦します。
ひとつの商品分野で、市場シェア50パーセント以上になるまで、
持てる力を集中し、その分野でトップとなる商品を作り上げる。
そして、次にスポーツシューズに力を移していったのです。
こうして、オニツカはスポーツシューズの総合メーカーへと育っていきました。
「中小企業は、もてる力が小さい。ひとつの目標をはっきりさせて、
徹底して追及していかないと、大企業には勝てない」
「堅い板に穴を開けようとするとき、
大きな鉄の棒で、力をいっぱい入れてもダメだが、
キリを使って揉んでいけば、案外簡単に開けることが出来る」
その後、スポーツウエアメーカーと合併し、
総合スポーツ用品メーカーのアシックスとして出発するのですが、
その根底には、弱者の戦略が受け継がれていきます。