人を惹きつける「仕掛け」造りが大事

 過去の勢いとは裏腹に、売上の縮小が止まらない百貨店業界です。
 かろうじて勢いが残るのは、鉄道と提携を結んだ店舗だけとあって、
 もろ手を挙げて喜べないのが悲しいところです。
 そんな中、あの手この手で頭を悩ませています。

 各社、独自路線を断念し経営統合に走ったのは、記憶に新しいところです。
 その先陣を切ったのは、大丸と松坂屋でした。
 持ち株会社Jフロントリテイリングを立ち上げ、
 業界での立ち位置を少しでも良くしようと、規模の拡大を図ります。

 この程、Jフロントが踏み切ったのが、パルコの買収でした。
 セゾングループの「落とし子」的存在であるパルコは、
 70年代から80年代にかけ、若者文化発信の中心基地でありました。

 しかし、セゾングループが解体した後、株主との関係がしっくりいかず、
 ここ一、二年は、ゴタゴタした状態が続いていました。
 ファッション、文化の発信基地であり続けたいパルコ側と、
 地方のテナント化を目論む株主側、お互いの溝は深まるばかりでした。
 そこに割り入ったのがJフロントだったのです。

 二進も三進もいかない状態から抜け出す糸口を探しているところでした。
 この連携によって、新しい仕掛けが生まれることを望んでいるのは、
 双方同じ想いでしょう。
 というのも、百貨店は様々な仕掛けで、人々を「あっ」といわせてきたのです。

 「眼鏡を見に来ただけのお客様が、500万円の買い物をしていった」
 歴史の長い三越ではたくさんの上得意の顧客をかかえていて、
 こんなエピソードもあるほどです。

 明治の訪れと共に日本に入ってきた西洋文化にのって、
 呉服商が洋服や化粧品、バックなどの輸入品を扱い始めたことから、
 百貨店として発達します。
 それまで、呉服の販売で馴染みにしていただいていた
 地元の財界人や地方の地主などの人脈を頼りに、高級品を売り込みに廻ります。

 百貨店の老舗、三越ではいち早く、産業形態の変化により
 新しく生まれてきた、都市部の富裕層にたいして、新しい試みを始めます。
 日本橋本店を、西洋建築方式の建物に建替え、玄関の外観を英国風にし、
 休憩室や食堂はフランス風の内装にして、イタリヤ調の家具を揃えました。
 まるで、社交界のサロンと見間違えるほどの内装で誂えました。

 加えて、買った商品は馬車を仕立てて自宅まで届けたり、
 また英国風の制服を着た少年が自転車に乗って届けるといった、
 お客の優越感をくすぐるサービスを次々と考え出したのです。

 呉服店から発展した百貨店とは一線を画する、
 ターミナルデパートという新しい発想で百貨店を作ったのは
 阪急グループの創業者 小林一三氏です。
 その第一号店となる梅田の阪急百貨店をオープンするに際して考えたのは
 どのようにお客様に来てもらえるかということでした。

 そこで、一階には雑誌、雑貨、食料品を扱う知名度のある店をテナントに入れ、
 二階以上を自らの運営としました。
 最初に力を注いだのが、最上階の大食堂です。
 ここのカレーライスは、本格的なカレーを庶民でも手が出る価格で
 味わえるということで人気を集め名物メニューとなったのです。

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