目論み違い…でも挽回を図れ

 クリスマス・ウイークを目前に控え、巷はクリスマス・ソング一色です。
 テレビ・コマーシャルも、クリスマス仕様に衣替えして、
 子供たちは、プレゼントが待ち遠しくて仕方がないのでしょう。

 先週末、任天堂の新型ゲーム機「Wii U」が発売されました。
 家電量販店等では行列ができ、早くも売り切れ続出だったそうです。
 家庭用ゲーム機としては、久々の新型だということで前評判は上々、
 つまずいたDSの挽回を図ります。

 アーケード型のインベーダー・ゲーム(スペース・インベーダ)の大ヒットで、
 一気に広がったのが、コンピュータ・ゲームです。
 テレビ・ゲームからポケット型まで、日本人のゲーム好きは留まることを知らず、
 移動中や待ち時間に、携帯向けゲームは欠かせない存在となっています。

 海外で人気の高い、コンピュータ・ゲームに「パックマン」があります。
 当初は女性やカップルをターゲットに考えられたゲームでしたが、
 アメリカで発売されると一躍ブームになり、
 スター・ウォーズと肩を並べるほど認知度が高いゲームとなっています。

 「パックマン」を発売したのは、当時アーケード・ゲームで有名であった、
 ナムコ(現 バンダイナムコゲームス)でした。
 創業者 中村雅哉氏の先見の明に長けた判断が、
 後の成功に道筋をつけることになります。

 コンピュータ・ゲームの元祖とも呼ばれるアメリカのゲーム会社は、
 日本独特の取引習慣に苦労していました。
 単独での展開を諦めた会社から、取引のあったナムコに、
 日本法人を引き取ってくれないかと話が持ち込まれることになります。

 時代の最先端をいく事業内容に、中村氏は目を奪われることになります。
 しかし、買い取り金額は約3億円、当時の年商からすると、
 到底、自力で支払える金額ではありませんでした。

 資金集めに銀行を駆けずり回り、
 どうにか事業を譲受け、運営を引き継ぐことになります。
 しかし、蓋を開けてみると不良在庫が多く、おまけに資金繰りに困ることになり、
 他に投資することができなくなることにもなります。

 その危機を救ったのが、「パックマン」のヒットでした。
 必死の思いで、引き継いだ技術を使い、
 オリジナル商品に力を注いだことが成果となったのです。

 中村氏が事業を始めたのは、戦争の傷跡が残る55年のことでした。
 遊び場所のなくなった子供たちのために、
 安全で楽しく遊べる場所を作れないかと考え、
 百貨店屋上の遊園施設を思いつきます。

 都心の百貨店には、他の業者が進出していましたが、
 郊外は手付かずだったので、人脈を頼りに仕事を探しに回ります。
 まずは、わずか木馬二台と金魚すくいの営業からの出発でしたが、
 やがては、事業をモノレールまで拡大しようと意気込みだったのです。

 「パックマン」、来年から欧米へ向けて進撃が始められます。
 3Dアニメが放映され、キャラクターグッズの商品化が進められるそうです。
 時代につれ、事業の形は変わっていきますが、
 「遊」や「夢」を提供することに際限はありません。

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