今月に入り、周辺の小・中学校では入学式が行われています。
制服に身を包み、初々しい姿を目にすると、こちらも楽しい気分になります。
併せて、新しい年度を迎えた上場企業等では、
トップ人事のニュースを耳にするようになりました。
Jフロントリテイリング(Jフロント)では、
力強く経営改革を押し進めていた奥田務会長が、改革に一区切りついたとして、
第一線から退き相談役になるという人事が発表されました。
鮮烈な印象はないものの、地に足の着いた改革を着実に推し進め、
「脱百貨店」を目指し様々な取組を行いました。
奥田氏の地道な活動に対して、
どうしても気になるのが、かつて怪物とも称された経営者の足跡です。
彼らが唱えた理念の数々は、全く役に立たなくなりました。
企業は、「追い風」でないと進むことができない船ではなく、
「逆風」でも漕げる船であることの大切さを感じます。
バブル時代の未練を断ち切れず、富裕層頼みの営業を続けていた
老舗百貨店そごうの水島広雄氏。
再建に失敗し、大幅な店舗縮小を余儀なくされることとなり、
百貨店の命ともいうべき本店までも失うことになりました。
店舗を引き継いだ(Jフロント)大丸では、昭和時代から持ち続けていた
百貨店の考え方を一新し、売場のほとんどをショップ形式にして、
テナントに運営を任せるようにしました。
次に、Jフロントが踏み切ったのが、パルコの買収です。
堤清二氏率いるセゾングループの「落とし子」的存在であるパルコは、
70年代から80年代にかけ、若者文化発信の中心基地でありました。
しかし、セゾングループが解体した後、株主との関係がしっくりいかず、
ゴタゴタした状態が続いていました。
ファッション、文化の発信基地であり続けたいパルコ側と、
地方のテナント化を目論む株主側、お互いの溝は深まるばかりで、
二進も三進もいかない状態から抜け出す糸口を探しているところでした。
そこに割り入ったのがJフロントだったのです。
この連携によって、新しい仕掛けが生まれることを望んでいるのは、
双方同じ想いでしょう。
百貨店は様々な仕掛けで、人々を「あっ」といわせてきたのですから。
ダイエーが全盛の頃、フランスのデパートと提携して百貨店を
乗っ取ろうといった兆しもあり、
日本に百貨店は必要なくなるとまで言われていました。
渦中の百貨店が生き残りを掛け、必死で採った決断が、世襲制を捨てることでした。
大丸は「下村家」代々受け継がれた社長の世襲制、
それを取りやめ、新しい血を入れる。
創業100年を超える伝統を持つ企業が気づいた「時代の変化」だったのです。
その変化を、中内功氏、は気づくことができなかったのです。
伝統ある企業だけでなく、ソニーやホンダ等の先進的な企業も、
「二世」という選択肢を捨てたのに…。