テレビゲームの先駆けとなり、数々のゲームソフトを生み出した、
任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が、
今月15日で30年を迎えました。
残念な事に、2期連続の営業赤字と業績不振と重なり、
新商品発表など派手なコマーシャルもなく地味な誕生日となりました。
そんなことと対照的に、京都の本社近くでは、
新社屋の工事が着々と進んでいます。
研究開発部門の集約する目的で、160億円以上の大金をかけ、
数年前から建設が進められています。
通常の会社なら、「こんな業績の悪い時に」と槍玉に挙がるところ、
任天堂にとってみれば、どうこう騒ぐ金額ではないのです。
無借金経営と1兆円を超える純資産、
超優良企業の見本のような財務数字です。
任天堂の決算数字について紹介される時に、
よく取り上げられるのは、利益率の高さと、
社員の人数の少なさです。
それを維持できているのは、ハード、ソフトともに、
ほとんどを自社では作っていないからなのです。
まず、ゲーム機の本体はというと、
自社で工場を持たず外部に委託して生産させています。
ゲームソフトも自社で開発するものは、ほんの一部で
大半はライセンス契約をしたうえで
ソフトウエア・メーカーが開発しているのです。
ライセンス契約の中身は、任天堂にとって有利になっています。
当然、作品がヒットすると、その本数に応じたロイヤリティーが
任天堂に入ることになるのです。
若干22才で会社の跡継ぎとなった、前社長 山内 溥(ひろし)氏。
家業である花札の普及を土台にして、
トランプカードへ事業拡大し、日本一のカードメーカーとなるのですが。
その前途に希望を持てず、様々な事業に手を染めます。
光線銃が空前の大ヒットしたことがきっかけで、
エレクトロニクスの分野に足を踏み入れることになります。
成功と失敗を繰り返し、試行錯誤の末たどり着いた会社の基盤。
数々のヒット商品の陰には、無名な社員の発想があり、
それは会議の中から生まれることが無いことを、経験を持って学んだのです。
どんなに人やお金をつぎ込んでも、大企業からファミコンが出てくることはなく、
任天堂だからこそ生み出せたのです。
新しいものは、たくさんの人の知恵で作り出せるのではなく、
優秀な社員の発想と、それを見極められる
経営者トップの目利きにあるのです。
この、金のなる木も、業界のパイオニアであったからこそ
築くことが出来た方法だったのでしょう。
その根底には、古都の老舗が受け継いできた
「細く永く、商いを続ける」経営精神が流れているのかも知れません。