失敗から学んで、成長に結びつける

 先月行われた日米野球の出来事、試合後メジャーリーグ側のベンチが、
 あまりにも汚かったことがネットで取り上げいました。
 武道を初めとして、日本では競技する場所を神聖な場所と考え、
 入場退場時には敬礼をし、綺麗に保つ事を心がけているのとは正反対です。

 また、メジャーリーガーたちは、絶えずガムや噛みタバコを口にし、
 「クチャクチャ、ペッ」は、自らが一流である象徴と思っているらしい。
 そんなクチャクチャするアイテムに、
 新しく森永製菓の菓子が仲間入りしているそうです。

 レッドソックスの田沢純一投手が、
 ブルペンにガムなどを用意する係を担当した際。
 自分が持っていたハイチュウを置いてみたところ、
 柔らかな噛み応えが大受けし、
 みんなから「いつでも用意してくれ」とせがまれるようになったそうです。

 日系スーパーにしか置いていなかった為、
 店を回り買いだめして対応していたそうですが、
 要望の多さに、ついにチームを通じて依頼を出し、
 12年から森永製菓がハイチュウを提供するようになったとの事です。

 お菓子王と呼ばれた、森永製菓の創業者 森永太一郎氏は、
 日本に洋菓子の大衆化に力を注いだばかりでなく。
 創業について、私たちに多くのことを、伝えてくれています。

 23歳のときに志を持って一人渡米しますが、
 その思いはかなえられることがなく苦しい日々が続きます。
 二度目の渡米中に、日本での洋菓子の製造を決意しそれを天職と決め、
 皿洗いの下働きからはじめ、12年をかけてやっと製法を学びとるのです。

 日本に戻った森永氏は、米国での失敗を繰り返さないよう、
 無から生み出す創業には、これでなくてはいけない決意します。
 
 「倹約して作った貯金の3分の1を最初の資本として、
 得意先がついて見込みが出てきたときには3分の1を運転資金として、
 残りの3分の1は予備貯金として、非常時のときに使う。」

 この考えをもとに始めたのが、わずか2坪のマシュマロ工場でした。
 しかし、日本での洋菓子販売は苦難続きで、
 最初は「口に合わない」と菓子店から返され、
 夏場には、製品がいたみ、返品の毎日でありました。

 営業や技能の才覚と、経営の手腕の両方を持ち合わせていることは稀です。
 森永氏にとってもそれは他人ごとではなく、
 販売や経営の能力を持つ人材を必要としていまいした。
 
 事業の拡大と共に、右腕となる人物を探し求めるようになります。
 やっと、輸入品の販売業を営んでいた松崎氏を支配人として
 入店にこぎつけることになります。

 その時、松崎氏が入店の条件として提示したのが次の3つでありました。
 一、販売業務は松崎氏に任せること、
 一、個人事業から株式会社へ改めること、
 一、なるべく人物本位で広く採用すること

 こうして松崎氏との二人三脚が功を奏し、
 森永製菓は 今のような発展を果たすことになるのです。
 経営の実権を委譲してまで、洋菓子つくりの天職をまっとうする。
 事業とは、私利ではなく、
 たくさんの人の英知を結集してこそ成功できるのでしょう。

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