生き残りを賭けた大勝負!体裁なんてお構いなし…

 少し前には、独自ブランドを有する飲料事業からの撤退や
 自動販売機子会社の売却を表明し、
 業界他社を驚かせた日本たばこ産業ですが。
 今度は、海外たばこ会社の大型買収を発表して注目を集めています。

 話題の中心は、その買収金額の大きさで、
 米たばこ大手が持つブランドの米国外事業を
 6000億円で買収するというものです。
 あまりの衝撃に、同社の株価は大幅下落となりました。

 ひと昔前まで、若者向けのスポーツには、
 国内外のタバコ会社が競って広告を行っていました。
 特にモータースポーツでは、メインスポンサーになっているところが多く、
 自社ブランドのデザインでペインティングされた
 レーシング・カーが颯爽とコースを駆け抜けていたものです。

 鎖国が開け、海外の文化がいっせいに押し寄せてくる中、
 それまでキセルを使って吸っていたタバコは、
 紙巻タバコという形になって日本に入ってきました。
 そして国産タバコは日本の歳入を支える、大変ありがたいものでした。

 明治後期、それまで民営だったタバコの製造販売を
 国が独占して行う「専売制」に切替え、
 その後長く続き、平成の少し手前まで続いていました。
 民営だった頃、タバコの販売では東西を分ける
 熾烈な争いが繰り広げられていたのです。

 舶来品に負けじと、国産で最初に紙巻タバコ
 「天狗印」を世に送り出したのは、東京の岩谷松平氏です。
 それに遅れはしたものの、新しい製法を用いて
 京都の村井吉兵衛氏が「ヒーロー」を発売します。

 両者は、互いに一歩も譲らない、広告合戦を繰り広げるのでした。
 国産の葉タバコを主流とした岩谷氏は、
 赤いシルクハットにフロックコートのいでたちで、
 赤色の馬車で町中を回ります。
 銀座にある店も真っ赤に塗り「赤ずくめ」で人目を惹きつけました。

 一方、村井氏は輸入葉タバコを原料として、
 高級品として「ハイカラ」なイメージで広告するのです。
 音楽隊を引き連れ、商品名を書いたノボリを掲げた馬車を連ねて
 宣伝パレードを行います。
 それまでの古いやり方である…
 「とうざい…とうざい」と触れ回る口上を使わない、
 アメリカ流を取り入れたのです。

 国産のタバコが登場して、国営化されるまでの10年間という
 わずかな期間でありましたが。
 包装紙や商品のパッケージの印刷、宣伝ポスター、
 おまけとしてパッケージに入れた美人画など、
 それまでには無かった、印刷を駆使した宣伝のはしりとなったのです。

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