廃棄食材の横流し問題の影響で、賞味期限に関心が集まっています。
安全や鮮度を前面に押し出す販売方法の問題もあり、
まだ食べられる食材が大量に廃棄されている現実が、
原因のひとつとして潜んでいるようです。
小売、製造元、どちらにとっても売れ残りは、
無いに越したことはありません。
特に生鮮食材は賞味(消費)期限が短く、
廃棄ロスが発生する確率が高くなります。
食品メーカーのキューピーの子会社では、
千切りキャベツなどのカット野菜を製造しています。
消費期限が4日間と短く、廃棄ロスを嫌った小売店が発注を少なくする為、
平日の夕方には売り切れている状態になっていました。
そこで、カットした野菜の洗浄をダメージを与えないような方法に切り替え、
野菜本来の抵抗力を生かし細菌の増殖を抑え、
包装フィルムを工夫するなど行い、
消費期限を1日延ばし5日としました。
効果はてきめんで、売上は前年に比べ3割増え、
新規で取り扱う店舗も増えたそうです。
また、容器などの研究を重ねてマヨネーズの賞味期限を、
現在の10カ月から1年に延ばした商品を3月から出荷します。
日本にマヨネーズを広めたのは、
キユーピーの創業者 中島董一郎(とういちろう)氏です。
若いときに農商務省の海外実習練習生の試験に合格して、
欧米に渡って調査活動をしているときに、
レストランでマヨネーズに出会います。
アメリカ人が色々な料理にマヨネーズをつけて食べている姿を見て、
栄養価の高さに感心させられるのです。
日本に帰国後もそのことが気になっていたのですが、
周りの人は誰一人知りません。
それは大正時代の事、まだまだ洋食は特別な人達の食事だったのです。
西洋文化が花咲き始めた1925年、
念願の国産のマヨネーズの販売を始めます。
コクを出すためアメリカ製に比べ卵黄を倍の量使ったため、
ハガキ1枚が1銭5厘の当時、一つ45銭と高価なものになり、
芳しい売上ではありませんでした。
百貨店での試食会を開くなど、
マヨネーズを知ってもらうための広告活動の積極的におこなった成果もあり、
その後順調に販売が伸びるものですが、
戦争による原材料不足により生産を休止することになります。
戦後、生産を開始すると間もなくして食事の洋食化により、
マヨネーズは大衆の食卓に登場することになります。
それを見ていた大手水産会社や食品会社が市場に参入してくるのですが、
これに対抗するためキユーピーは生産の合理化によるコストダウンと
値下げを何度にも渡って行います。
その結果、二匹目のドジョウを狙った水産会社のマヨネーズは
次々と姿を消してしまい、
キユーピーと味の素の製品だけが残ることになったのです。