菓子メーカー森永製菓の子会社には、
菓子職人の世界一を決める大会の国内予選で、
今年の栄冠を手にした職人が技を磨いています。
来年1月にフランスで開催される世界大会に出場しますが、
日頃の業務は洋菓子店に向けに、
チョコレート原料を使った洋菓子を提案することです。
週に一度は納品先に出向いて、菓子作りの実演やレシピの提案を行っています。
お菓子王と呼ばれた、森永製菓の創業者森永太一郎氏は、
日本に洋菓子の大衆化に力を注いだばかりでなく。
創業について、私たちに多くのことを、伝えてくれています。
23歳のときに志を持って一人渡米しますが、
その思いはかなえられることがなく苦しい日々が続きます。
二度目の渡米中に、日本での洋菓子の製造を決意しそれを天職と決めます
皿洗いの下働きからはじめ、12年をかけてやっと製法を学びとるのです。
森永氏は米国での失敗を繰り返さないよう、無から生み出す創業には、
これでなくてはいけないと考え直し、
「倹約して作った貯金の3分の1を最初の資本として、
得意先がついて見込みが出てきたときには3分の1を運転資金として、
残りの3分の1は予備貯金として、非常時のときに使う。」
いわゆる資本三分主義を実践するようになります。
この考えをもとに始めたのが、わずか2坪のマシュマロ工場でした。
日本での洋菓子販売は苦難続きで、最初は「口に合わない」と菓子店から返され、
夏場には、製品がいたみ、返品の毎日でありました。
返品された製品を、夜にひっそり、
溜池に捨てに行ったという秘話まで残っています。
営業や技能の才覚と、経営の手腕の両方を持ち合わせていることは、
稀であります。
森永氏にとってもそれは、他人事ではなく、販売や経営の能力を
持つ人材を必要としていました。
事業の拡大と共に、右腕となる人物を探し求めるようになります。
やっと、輸入品の販売業を営んでいた松崎氏を支配人として
入店にこぎつけることができました。
その時、松崎氏が入店の条件として提示したのが次の3つでありました。
一、販売業務は松崎氏に任せること、
一、個人事業から株式会社へ改めること、
一、なるべく人物本位で広く採用すること
こうして松崎氏との二人三脚が功を奏し、
森永製菓は 今のような発展を果たすことになるのです。
経営の実権を委譲してまで、洋菓子つくりの天職をまっとうする。
事業とは、私利ではなく、たくさんの人の英知を結集してこそ成功できるのでしょう。
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発 行 元:シモヤマ会計事務所(下山弘一税理士事務所)
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