需要のけん引役、実は違っていた?

 化粧品といえば、若さに自身を持つ年代の女性が、
 積極的に買うものとばかり思っていました。
 ところが、今や50歳以上の消費が半分を占め、
 化粧品市場はシニア層がそのけん引役となっているそうです。

 20~30歳代は、ドラッグストアやスーパーの化粧品売場で、
 リーズナブルなもので済ませる傾向が強く。
 一方、専門店や百貨店で買い続けていることが多い50歳以上は、
 品質、価格とも高級志向が強く購入額を押し上げていそうです。

 そう思えば、最近のテレビCMで、これが美人の代表といった女性より、
 ミドル世代の親近感のある芸能人が登場するものも納得できます。
 化粧品各社、これまで年齢を強調することはタブーとされていましたが、
 新しいブランドを投入し、50代獲得に知恵を絞っています。

 明治の初め、薬といえば漢方薬が主流で、
 世の中には粗悪な薬が多かった。
 質の高い薬を提供して、人の命を守ること。
 福原有信は日本最初の西洋薬局を開業し、
 文明開化による西洋化の技術と日本古来の精神を融合するという
 意味をこめて、その名を「資生堂」と名づけた。
 
 最初は、高価な薬ばかり扱ったため、経営はかなり苦しかった。
 理想として目指したのは「医薬分業」でした。
 それは、薬の生産から、医師の処方によって、薬を調合するまでを、
 一貫して行うこと。
 そのために、店舗の近くに医院を設立したのです。
 彼の理想は、叶うことはありませんでしたが
 倒産の寸前の危機に合いながらも、
 その中で大衆の感覚を身に付けることになるのでした。
 
 資生堂の名を知らしめたのは、日本最初の「ねり歯磨き」でした。
 焼き塩や房州砂に香料を混ぜた従来の歯磨き粉にたいして、
 値段の10倍以上もする高級品を発売したのです。
 福原氏は新聞や雑誌へ積極的に広告を利用し、
 高級感と優秀さを世間にアピールしていくのです。
 
 化粧水『オイデルミン』などの発売をきっかけに、
 本格的に化粧品の分野へ進出していきました。
 『オイデルミン』は東京帝大教授の処方になるもので、
 ガラス容器の美しさもあって「資生堂の赤い水」として評判を呼び、
 現在も愛用される100年以上続く超ロングセラー商品になりました。
 
 資生堂が化粧品中心に事業を移していったのは、
 有信氏の三男、信三氏が社長に就任したことが影響しています。
 芸術家志向の信三氏は、意匠部を発足させ美術学校の学生や若手画家を
 スタッフにして、ポスター、新聞広告、パッケージデザイン、
 店舗設計などを手がけていきます。
 
 資生堂のトレードマークである「花椿」は、
 信三氏自らがデザインを手がけたほどで、
 「商品をしてすべてを語らしめよ」が口癖で、
 商品名、容器、パッケージすべてに神経を使いました。
 
 また、日本初のチェーンストア制度を採用して、
 全国に「和魂洋才」の資生堂文化を広めて、
 福原氏の良質な薬への追求は、体だけでなく
 「心に効く」化粧品という妙薬を生み出したのです。

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