このところ、将来に対する期待感から、食品や日常品など、
これまでは値ごろ感重視だった品揃えから、
少しずつですが、ワンランク上の商品が増えてきているように感じます。
これには、来年に控えている消費税のアップ分を、
「こっそり吸収してしまいたい」という目論みも潜んでいるようです。
外食チェーン大手では、食材価格や人件費のアップで、
コスト増が先行しているため、今までに比べ、質を高めたり、
量を増やしたメニューを加え、客単価アップを図っています。
この流れは、安さが売りのプライベート・ブランドにも、
広がっているようで、スーパー大手ではメーカー商品の価格を上回った、
上級ランク商品を品揃えに加えています。
食品メーカーが独自ブランドで販売する商品(NB)に対して、
スーパーやコンビニが自主ブランドで販売する商品を、
プライベート・ブランド(PB)といいます。
メーカーと提携や共同開発を行うことによって、
数十パーセントお得な金額で販売されています。
景気が悪くなると、メーカーとしては注文が減るので、
生産にゆとり…いえ、穴が開くことになります。
そこにスーパーのPBの注文を充てることができれば、
少々安くても、工場を止めるよりマシということになるのです。
小売業が力をつけると共に、PBの販売額も年々増え続け、
もうすぐ2兆円を超える規模まで拡大しているそうです。
このような状況を踏まえて、
メーカーも単に下請けとして生産を引き受けるだけでなく、
戦略的な行動を採るようになってきているそうです。
醤油業界第2位のヤマサ醤油では、PB商品の拡大を好機と捉えて、
受注枠を増やし市場シェアの拡大を狙います。
NBだけでは太刀打ちできない業界トップの壁を、
PBの力を借りて突破しようと目論んでいます。
僧侶が中国から味噌の製法を持ち帰ったのは鎌倉時代のこと。
現在の和歌山県湯浅町の寺で味噌が作られ、
その副産物として生まれたのが「湯浅醤油」といわれています。
故郷の醤油の製法を携え、初代濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡り、
ヤマサ醤油を興したのは1645年のことです。
儀兵衛が生まれた広村は、湯浅の隣に位置する貧しい村でした。
跡継ぎではない男子は故郷を出て、気候が似ている銚子に移り住む者も多く、
漁業が栄えた銚子では、醤油製造の地としても発達していきます。
脈々と続く家系では、七代目にあたる濱口梧陵に逸話が残されています。
津波のたびに大きな被害を受ける故郷を守るため、
莫大な資財を投じ、大量の人手を動員して、4年もかけ防波堤を築いたのです。
その姿は、松とハゼの木が植えられた全長600メートル以上にも及ぶ、
史跡となっています。
業界トップであるかどうかは、価格のリーダーシップという点では、
大変大きな違いがあります。
トップが決めた価格を上回る金額を、
二番手以降の会社が自らの商品につけることはとても難しいのです。
価格を安くしても注文を取りたい立場の会社が、
自らを不利にするようなことは、普通では考えられません。
二番手、三番手の会社が主導権を握れるのは、
業界トップと違う商品を作り出せたときだけなのです。