群雄割拠で天下をうかがう混乱期には後塵を拝しているものの、
その間、着実に力を蓄えながら様子を伺って待っている。
強者同士の争いで相手の力に陰りが見えはじめると、
一気に飲み込み勢力を拡大する。
まるで、戦国時代の武将の生き様のように見えるかもしれませんが、
これが総合スーパー(GMS)業界1位となったイオンの姿です。
経営不振に陥った競争相手を取り込んでいく中で、
規模拡大することの怖さを充分わかっているはずでしたが、
このところ、同じ轍を踏んでしまっています。
他社も同じ悩みを持っているものの、
トップであるイオンもGMS部門の不振に頭を抱えています。
利益確保と効率化を急ぐあまり、売れ筋中心やプライベートブランドに偏った、
魅力のない品揃えとなり客足が遠のいてしまいました。
価格差や品揃えに違いが少ない、
商品(サービス)を取り扱うビジネスでは先手必勝がカギです。
それゆえ、いち早く拠点を構え、自社の包囲網を築けるか否かが、
後の経営の優劣に大きく影響してきます。
60年、70年代にかけてのスパーマーケットの出店は、まさにその通りでした。
次第に出店できる有望地は数少なくなり、運良く出てきたとしても、
他者との競争が厳しく、希望通りに事は運べなくなりました。
次なる手は、他社を手中に収め、その包囲網を丸ごと手に入れることに変わります。
イオン(旧ジャスコ)は、各地に分散していた
地方スーパーがお互いに手を組んで、徐々に全国に広げた経歴をもちます。
三重県の「岡田屋」と兵庫県の「フタギ」の2社が合併し、
後に大阪府の「シロ」が加わり、引き続き、広島、山形、福岡、
そして関東圏へと合併の輪が広がっていったのです。
おかしなもので、業界のトップ争いを演じる企業でありながら、
地域ごとでみると、トップではなく2、3番手であることが多かったのです。
全国的には絶対的な優位に見えていても、すべての商品、顧客、地域において、
トップシェアを取ることは不可能で、そこには死角が生まれるのです。
ダイエーは出店の度に、自前の資金で新しい店舗を作り拡大していったので、
そのため借金もどんどん膨れ上がることとなりました。
一方、イオンは店舗としては増えても、
もともとの会社が持っていた店舗を引き継いだだけなので、
多額な借金に頼る必要がありませんでした。
後には、日本のGMSの象徴ともいえるダイエーが、
格下のイオン支援の下で再建されるなどという状況になります。
勢力を伸ばしてきた、大手スーパーに対抗するため、
力の弱い地方スーパーが手を組んできたところが、
どういうわけか、大手スーパーを飲み込んでしまったのです。
一つの店舗を作るには、莫大なお金と時間がかかります。
そして、出来上がったお店が順調に利益を稼ぎ出してくれるには、
何年もかかることとなります。
その資金を借金によってまかなうとなると、
5年から10年の間は借金の返済に追い立てられることになります。
「売上が多いけれど借金も多い経営」と「売上は少ないけれど借金の少ない経営」
さて、どちらが楽な経営といえるのでしょう。
売上が順調に伸びている時には、ついつい関心が薄くなる「借金の返済」、
伸びが止まったときには、洪水のように押し寄せてくるのです。