国策に揺れるのは、今も昔も同じ

これまで長い間、大企業には経費とすることが出来なかった交際費が、
 14年度の税制改正で一部解禁となりました。
 飲食に関する接待費について50%を損金経理できるようになり、
 景気回復の期待と共に、ほっと胸を撫で下ろしているのは、
 高級飲食店の経営者ではないでしょうか。

 税制の動向によって、経営が大きく左右される業種のひとつとして
 ビールなどの酒造メーカーが挙げられます。
 現在では、ビール風味のアルコールといえば、
 ビールと発泡酒、第三のビールに分けられています。

 サッポロが発売した新商品に、国税当局から待ったがかかり、
 販売を一時停止しました。
 その後、税率区分を改めて再発売したニュースは記憶に新しいところですが、
 今も昔も、国策という大義名分に、各社知恵を絞り乗り越えてきたのです。
 
 国産のビールは、明治の始め在留外国人のW・コープランドによって、
 手がけられた事に始まります。
 戦争による好景気や事業が有望であると見込んだ内外の事業家により、
 雨後の筍のように、あちこちに醸造所が作られることになります。

 しかし、明治後期になるとビールに税金が課されるようになり、
 中小の業者の多くは、その負担に耐えかねて、
 姿を消していくことになるのです。

 その様な中で、生き残った大手のうち3社が合併し、
 大日本麦酒が作られることになり、
 遂には、国内のビール業者はキリンと大日本麦酒のみになってしまうのです。

 その後も、国策の影響を強く受けてビール業界は翻弄されます。
 戦争中には統制化に置かれて、瓶も共用となり、
 銘柄別のラベルが廃止されて「麦酒」の文字だけになりました。

 戦争を終えると、占領地下の政策により、大会社は解体されることになり、
 大日本麦酒が分割され、現在のアサヒとサッポロが誕生することになります。

 最後発となるサントリーがビール参入を決めたとき、
 アサヒビール創業者の山本為三郎氏を訪ね提携を嘆願します。
 無理を承知と頭を下げるサントリーの社長に、
 山本氏はこう言い承知しました。

 「わが国のビール生産者は、世界に類を見ないほど少ない。
 業界の健全な発展のために、ひとつくらい新しい会社が
 立派に育つようにしなければならない」
 
 このことは、アサヒビールにとっては、後々足かせとなり
 劣勢を甘んじることとなるのですが、
 その後の地ビール解禁などの流れを見れば、
 業界全体の成長を考えた決断といえるでしょう。

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