世の中には、身体的なハンディキャップを持ちながらも、
優れた才能を花開かせ、世界で多くの人が活躍しています。
その一人に、生まれながら視力を失っているにもかかわらず、
足りない部分を補うに余りある才能を発揮して、
日本中に感動を与えてくれた辻井伸行さんがいます。
素人考えながら…
ピアノを演奏するだけなら、ある程度の技術を持った奏者は、
鍵盤を見なくても演奏を出来るように思います。
実際、プロが演奏している姿を見ても、
ノッテいる時は、目を瞑り、斜め上の方向に頭を向けています。
でも、練習の時は違いますね、
初めての曲を覚えるには、音符や演奏方法を記録するものが無いと困ります。
クラシックのピアノ曲のように、
音符が楽譜一面に書かれているようなものを見ると、
どうやって覚えるのかと心配になります。
ポップスの世界では、レイ・チャールズやスティービー・ワンダーが、
黒人、盲目というハンディを乗り越えて、
胸を打つ素晴らしい曲を提供してくれます。
当然ながら、楽譜は読めないだろうし、
楽譜のように音を覚えようともしてないと思うのです。
ハモンド・オルガンをジャズに取り入れた第一人者、
ジミー・スミスも楽譜は読めなかったそうです。
高度な技術を要するアドリブを習得するには、
楽譜が無いと困るだろうと思うのですが。
卓越した音感で、微妙な調性を読み取り、
独自の演奏方法まで編み出したのです。
ハモンド・オルガンは、もともと前線の軍隊での礼拝用に
パイプ・オルガンの代わりに作られたのが始まりだったのですが、
アメリカでは高価なパイプ・オルガンの代わりとして
教会に広まっていきました。
一方、壮大、荘厳な音のパイプ・オルガンは、
日本での製作は不可能とされていました。
山葉寅楠氏は、リード・オルガンの修理を依頼されたことが
きっかけとなりオルガンの試作研究を始めます。
現在のように豊富な情報の無い時代にもかかわらず、
その後もピアノをはじめ数々の楽器製造に取り組み、
追求心は後に日本最初のパイプ・オルガンも生み出すことになるのです。
この山葉氏が設立した「山葉風琴製造所」が「ヤマハ」の出発点となったのです。
当時、輸入楽器は高価で一般家庭には手が出せなかったため、
国内には競争相手がなく、輸入業者は「ぬるま湯経営」となっていました。
その隙を狙い、「ヤマハ」はハーモニカ、木琴などの製造にも乗り出し、
事業をどんどん拡大していったのです。
慣れというのは怖いものです。
学校に限らず社員教育の現場でも、即効性を重視して、
合理的に考えつくされたツールやマニュアルが幅を利かせています。
何時の間にやら、そんな事にも慣れてしまって
私たちは違和感を無くなしているようです。
でも、時にはそういったものを白紙にして、
素朴に、人間の感性を生かす様にしてみるのは如何ですか。
近頃、ビジネスの現場に見られる煮詰まり感が打開されて、
(自社にとって…)奇跡が生まれるかも知れません。