20代の若者中心に、昭和歌謡曲がブームになっています。
流行ったのは生まれる前、テレビやネットで聴くことも少なく、
「エモい!」とばかりに話題になり、
カラオケでも上位にランキングされる曲もあるそうです。
そして、歌謡曲ブームから派生して、70年代、80年代に流行った音楽、
ニューミュージックにも注目が集まっています。
こちらは海外でも話題となり、
当時発売されたアナログレコードが高値で輸出されているそうです。
そんな、何かわからないけど「エモい」感覚に引き寄せられている若者は、
音楽から映像の世界へ引き寄せられています。
ビデオ・テープ専用に編集されたショートフィルムを鑑賞できる喫茶店が、
東京にオープンしました。
小さいころ、家族で鑑賞した記憶があるくらいで、
現在、ビデオデッキが自宅や実家にあるはずもなく。
デジタルネイティブにとって、味わったことがないメカニカルな操作に、
戸惑いと感動を感じながら、そんなひと時を過ごすそうです。
「エモい」に酔いしれている若者は知るはずもない、
その頃のビデオ・テープの規格争い。
製品の開発に一歩先に出たソニーの「ベータ」に、
巻き返しを図るビクターの「VHS」の猛攻勢はすさまじいものでした。
当時のビクターは業界8位の中堅メーカーにしか過ぎず。
技術力の高さはソニーがダントツで、
かなり水をあけられる形で松下が入り、次にビクターがついてくる。
「そんな会社が、家庭用ビデオを作れるとは到底思えない」
と言うのが世間での評価でした。
また、社内でも新しいビデオ開発には見切りをつけ、
業務用ビデオの改良・販売をおこなっていくことに方針転換したのでした。
「他社に先を越されれば、
ビデオ事業にかかわる社員、協力工場すべてが仕事を失うことになる」
当時の事業部長がこう決意したことから、
本格的に家庭用のビデオ開発に取り掛かることになります。
それは、本社には黙って「秘密開発部隊」としてスタートしたのです。
一度も黒字を出したことのない部門、
業務用ビデオを売り歩き、自らの給与を稼ぎながら、開発を進めていきます。
また、理由をつけ、売れる見込みのない業務用ビデオを生産し続け、
事業に携わる人々の首を繋ぎます。
在庫は溜まりにたまり、月商の7、8ヶ月にもなりました。
本社からの借入金は年商をはるかに超え30億円以上に…
金利は6、7パーセントだったので、
通常の会社なら既に倒産していてもおかしくない状況でした。
ソニーに遅れること、1年5ヵ月後
ビクターは家庭用ビデオを発売することが出来ました。
対抗策として、ビクターが取ったのは、技術を他社に公開することでした。
日立、松下をはじめとするVHS規格に賛同する企業に、
試作品を貸し出し、生産ラインまで公開することとしたのです。
その結果、VHSが家庭用ビデオ規格の主導権を握ることとなったことは、
歴史が証明するとおりです。