こちら京都では現市長が引退を表明し、
16年ぶりに新しい市長を選ぶこととなる選挙が行われています。
舌戦では市西部に位置し、高齢化と人口減少が課題となっている
ニュータウンの再生も注目のひとつとなっています。
高度成長期に日本の住宅事情を支えた団地(公団住宅)。
その大半は昭和40年から50年前半に建てられ、
一定の役割は終え、現在も住み続けている家主も高齢化となり、
建物自体も老朽化が進んでいます。
そんな団地に、心惹かれる人たちが増えているそうです。
愛好家たちのツアーが開催されるなど、
様々なイベントも企画されています。
幼少期に両親と一緒に暮らした経験のある、
30~40歳の参加者が多いそうですが、
当時の生活に思いを馳せたり、建築技術に感心しきりだそうです。
先の大戦後、一面焼け野原となった都市部では、生きることが最優先。
住まいに関することは、二の次、三の次のことで、
雨風がしのげればそれで十分と、10坪にも満たない家に、
3世代が同居するなんて事は、あたり前のことでした。
1年経ち、2年経ち、少しずつ生活が安定してくると、
人々の関心は、住まいにも向くようになります。
戦争で焼け出された人々の心には、戦前のような広い間取りではなくとも、
文化的な生活に戻りたいという気持ちが湧いてきます。
住宅対策として政府が打ち出したのが、公団住宅の計画でした。
それは、都市部のサラリーマン向けに、
鉄筋コンクリート製の住宅を10年間で30万戸供給するというものでした。
ただし、1戸あたりの面積は13坪、予算もごく低く抑えられ、
役人が机の上ではじき出した、温かみの感じられないものだったのです。
プロジェクトに集められたメンバーには、この限られた条件の中で、
どうにかして文化的な生活を提案できないかと知恵を出し合います。
最も関心が集まったのは、台所だったのです。
これまでの公営住宅よりも、わずか1坪増えただけのスペースに、
台所と食卓を合わせた「ダイニングキッチン」を構えることでした。
「ダイニングキッチン」とは、この時に出来上がった和製英語で、
公団住宅のセールスポイントとなります。
水周りは北側にというこれまでの考え方を覆し、
家の中心となる、日当たりの良い南側に配置することにします。
ステンレスの流し台を採用して清潔感のある台所を演出。
食器棚をおかなくて済む様、吊り下げ式の収納棚、
その下には水きり棚を、考案しました。
この時の間取りは、公団住宅の標準となり、以降の建築に採用され続け、
キッチンのスタイルも、定番となり一般家屋にも普及していったのです。
満足な条件の中で、ビジネスを行えることは稀なことです、
金銭的にも時間面でも制約された中で、
新しいことにチャレンジしていくことが、
ビジネスといえるのではないでしょうか。
理想を固持していては、一歩も前に進めないし、
妥協ばかりでは、今までと何も変わりません。
こんな時には、「上手に妥協」するコツを身につけることが大事です。