80年から90年代に大流行したタミヤの自動車模型「ミニ四駆」。
 当時、漫画やアニメにも登場し、夢中になっていた子供も今や父親となり、
 自分の子供と遊ぶ世代となり、人気が再燃しているそうです。
 ものすごい速さでコース上を駆け抜けるミニ四駆のレースに加えて、
 新しいブームが起きています。
 イベントでは、メーンのコース会場とは別の場所で、
 車体をビーズなどで飾りつけ、見た目の美しさや改造度を競う、
 「デコ四駆」のコンクールも行われ人気となっています。
 日本のプラモデル・模型メーカーの代表格のタミヤ(田宮模型)、
 お父様方の頭に思い浮かぶのは、幼い時に作ったプラモデル。
 海外から押し寄せたプラモデルの波に押され、
 木製模型からプラモデルに転向することになりますが、
 世界でも屈指の模型メーカーとして発展することになります。
 初めて手がけるプラモデルの製作に四苦八苦している時に、
 経営を安定することができたのは、モーターで自走する模型のヒットでした。
 金型の作り易さと、設計の容易さから、戦車を題材に選びます。
 運の良いことに、有名イラストレーターに箱絵を描いてもらうことにも成功します。
 もう失敗はできないという思い一杯で、製作に取り掛かったものの、
 相変わらずの金型の納期遅れで、発売時期は1ヶ月、2ヶ月と遅れていきました。
 正月の商戦にはどうにか間に合わすことができ、年末ギリギリに問屋へ納品に回ります。
 年が明けると、仕事始の日に追加の注文で電話が鳴り響き、会社が沸き立ちます。
 子供たちの夢を叶える仕事をしているものにとって、
 実物に忠実な模型を作り上げることは、何物にも代えがたい喜びがあります。
 その思いに押されるまま、スポーツカーの代名詞であるポルシェの模型を、
 手がけたときのことです。
 製作の許可を得て、製造工程まで取材することができました。
 本物の車が、組み上げられていく姿を目の当たりにしていると、
 この行程をそのまま模型にしたい気持ちが、モクモクと湧き上がってきます。
 寸法などを忠実に再現するため、本物のポルシェを手に入れ、
 あらぬことかバラバラに解体してしまったのです。
 発売してみると、模型の人気はマニアだけに止まり、
 売れ行きは思ったほどではありませんでした。
 振り返ってみると、制作費がかかりすぎ小売価格が高くなりすぎたこと、
 世に出すタイミングが早すぎたことが原因でした。
 その後、ポルシェの模型はラジコンカーとして復活することになります。
 ラジコン好きの社員が、駐車場で自作のラジコンカーを走らせている姿を見て、
 エンジン音がしないので尋ねてみると、モーターで走らせていると応えるではないですか。
 エンジンが主流であったラジコンの世界に、電動カーが登場することになるのです。
 先立つこと2年前に、戦車型のラジコンカーを発売し、市場の反応を見つつ、
 ポルシェのラジコンカーを発売します。
 本体、送信機、受信機を揃えると3万円近くするのにも拘らず、大ヒットとなります。
 そして、電動カーは、オフロードカー、ミニ四駆へとつながっていくことになるのです。
 多くの場合、思い入れが強いとビジネスは上手くいかないものです。
 上手くいかなくて起死回生を狙い、新しいビジネスに手を出すものなら最悪です。
 大きな成果を願うなら、念入りに調査をし、テスト販売をするなど、
 確信を得てから、本格的に手をつけないといけません。
 はやる気持ちを抑えて、手順を踏むことで、成功の確率は格段に高まるのです。










