お知らせ

 毎年、数え切れないくらいの新製品が登場する飲料水のなかで、
 生き残れる製品はわずか数製品といわれています。
 炭酸飲料が世の中に出回りはじめた頃には、
 ラムネが出荷量の大半を占めていました。
 しかし、親しまれた独特な形にこだわったことが
 普及に歯止めを掛けることになってしまったのです。

 同じようでいて、名称が違っている、「ラムネ」と「サイダー」。
 感のいい方は気づいておられると思いますが、
 どちらも、語源は外国語からきています。

 ラムネは、英語のレモネードが訛ってできた言葉で、
 サイダーは、フランス語のりんご酒を意味するシードルという言葉が
 変化してできた言葉だといわれています。

 そんな名称が出来上がった経緯が表すように、
 ラムネはレモン味をつけた炭酸水が最初でした。
 一方のサイダーは、イギリスでりんご酒に炭酸水を加えたものが
 シャンパンサイダーと呼ばれていて、
 これを参考にした飲み物が始まりとされています。

 ラムネは世の中に普及する途中で、
 皆さんがよくご存知のビー玉が入った、腰がくびれたビンの形になりました。
 そんなことから、中身の味よりビンの形から、
 サイダーとは分けられるようになったのです。

 どちらも世の中に広まったのは明治以降のことで、
 庶民の味として親しまれることになります。
 サイダーは、現在も他の炭酸飲料と肩を並べる存在としてたくさん飲まれています。
 しかし、ラムネは駄菓子屋さんでの飲み物として、
 郷愁を感じる存在としてのみ残っています。

 昭和に入り、各社から透明なものを含め、
 数えないくらいの炭酸飲料が発売されるようになります。
 そんな熾烈な競争の中でも、サイダーが生き残っているのは、
 三ツ矢サイダーの存在が欠かせません。

 三ツ矢サイダーは、明治から昭和にかけて行われた政府主導の
 ビール製造会社の統合、分割の波の中でビール会社の子会社となります。
 先にお話したように、サイダーはお酒に近い趣向で飲まれていた経緯があったので、
 事業の一環として炭酸飲料とビールを取り扱うことが多かったのです。

 再編の後、三ツ矢サイダーはアサヒビールの子会社となるのですが、
 当時のアサヒビールは、市場でのシェアが低迷して赤字が続いていました。
 シェアが10%を切った時には、倒産は時間の問題とさえささやかれていたのです、
 ビール事業が不振な中で、会社を支えていたのは三ツ矢サイダーの利益でした。

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