お知らせ

 年の瀬も押し迫り、一年を振り返る番組や企画が多くなる時期となりました。
 各世代の青春時代を振り返るテレビ番組も多く見受けられます。
 一方、インターネットやスマートフォンの普及を背景に、
 なくなっていくものも多くあります。

 今は、調べたいことがあれば、スマートフォンで検索さえすれば、
 いとも簡単に情報が得られるようになりました。
 その一つが、いわゆる雑誌と呼ばれるものです。
 特にファッション誌や情報誌の休刊が相次いでいます。

 80年、90年代には、お洒落の流行を逃さないため、
 友達と遊びに行く際の情報源として、
 欠かすことができない必須アイテムでした。
 そんな、ファッション誌の登場し始めた60年代、
 ミニスカートが流行りはじめ、ストッキングが発売されたのもこの時期です。

 女性がストッキングと呼ぶのは、いわゆるパンストのこと。
 ボディコン・ブームで89年にピークに達した後、
 年々、その需要は下がり続け、昨年度はピーク時の10分の1程度まで、
 縮小していたそうです。

 ピークが去った後、女子学生を中心に「ナマ足ブーム」が訪れ、
 厳しい冬の時代を迎えることとなります。 
 その後も、厚手のタイツから、レギンス、トレンカと、
 ストッキングは女性から敬遠され続けていました。

 2010年ころからレギンスの上にショートパンツやワンピースを着る、
 ファッションが流行ってきたことからパンスト人気が復活します。
 脚を出すことに抵抗感が薄れてきたことが後押しとなり、
 素足をカバーするための、ストッキング利用が見直されたそうです。

 ストッキングは、駐留地となった戦後の日本に、
 アメリカから入ってきたファッションのひとつです。
 それまで、国内では絹製の高価なものしかありませんでしたが、
 既に、アメリカではナイロン製のストッキングが普及していました。

 国内で初めてストッキングを発売したのは、肌着メーカーのアツギです。
 ストッキング欲しさに米兵に近寄っていく女性を見て、
 堀録助氏は国内でストッキングを生産することを決意します。

 戦後、堀氏は厚木編織(現 アツギ)を立ち上げ、
 捕鯨用のロープ等を生産していましたが、
 設備を整え、肌着や靴下の製造を試みていたところでした。

 それまでのストッキングは、織り上げた生地を後ろ側にあたる部分で、
 縫い合わせて脚の形にするものでした。
 さらに、この機械は当時の値段で何千万もするとても高価だったのです。

 アメリカで、縫い合わせをしないシームレスという方法が、
 話題になっていることを知ると、早速その製法の研究を始めます。
 機械メーカーに開発を依頼して、国産第一号のストッキングを完成させたのです。

 パンティ・ストッキングとして全国一斉発売されたのが68年のこと、
 丈夫で、美しく、それでもって安価なストッキングは、
 国内はもとより、海外の評価も高く、重要な輸出商品となったのです。

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